金融教育に関する実践報告コンクール
「金融教育を考える」第1回小論文コンクール(平成16年)
「鶴」の授業~クラスを一つの市場経済に見立てたシミュレーション活動による経済学習の実践~
優秀賞
静岡県・浜松市立神久呂中学校:野島 恭一
2. 実践の内容
(1)基本となる考え方
従来の中学生の経済の授業は、基本的には大学で学ぶ経済原論の教科書を中学生向けに簡単にした内容で、貨幣と価格・家計・企業・政府・国際経済の順に学んでいくことになっている。
2002年から実施されている新指導要領によって、実生活に即した内容を重視する方向性が打ち出され、教科書も用語の削減や資料の差し替えが行われたが、この基本の構成は変わっていない。この構成は特に問題はないのだが、問題なのは実際生活に即するという点である。
社会科は暗記の教科という意識が強く、学習内容と実際の生活との結びつきが難しいのである。歴史・地理はともかく、公民は社会生活上の現実の問題解決の能力=公民的資質を育む教科であり、事象の知識理解としての習得に終わるのでは教科の目標を達成しているとは言い難い。
新指導要領を待つまでもなく、良心的な実践者は実生活に即した授業の工夫の努力を積み重ねてきた。しかし、政治と比べ特に経済の分野でその蓄積は大変少ないと感じている。単発的な導入の工夫の資料などはたくさんある。しかし、それらを駆使して毎時間様々に工夫を凝らしても、単時間ごとでは、結局暗記中心の学習に終わってしまうことが多かった。また、今まで開発されていた株式ゲームなどの体験学習も、狭い学習範囲に限られていて、個人と社会の幸せを追求するという経済学習の本質に迫ってはいないもどかしさを感じていた。
「鶴」の実践は、この限界を克服しようと考えたプランである。
(2)シミュレーション活動の構成
このシミュレーション活動は、クラス全体を一つの市場に見立て、生産と消費と流通という経済活動を、「折り鶴」と「お札(授業用紙幣)」で行うのである。
まず、教室内に「お札(授業用紙幣)」を発行し、生徒一人あたり数万円を持つ。教師(野島商事)が折り紙を1枚千円で発行する。生徒は自由に企業を作り、折り紙を購入して折り鶴を作り販売する。そして、企業からの給料を使って鶴を購入し、生活班で集めて千羽鶴を作る。経済活動が活発なクラスほど沢山の鶴が生産され消費され、美しい千羽鶴の群れができあがるということになる。
3年生の1学期後半から2学期までの3ヶ月間約35時間の授業を通して、一授業時間50分のうち最初の15分を鶴の製造販売購入のシミュレーションの時間とし、残った35分で授業を行うのである。
(3)単元の構成
まず、「お札(授業用紙幣)」の発行によって貨幣の本質と商品の売買契約・価格・国民経済の3要素という経済の基礎について学ぶ。これが第1単元である。
次に、この基礎をふまえた上で、市場経済の2つの主役=企業(第2単元「もうかりまっか」)と家計(第3単元「ぼちぼちでんな」)を学ぶ。鶴を作って売ることを通して企業の誕生から発展を学び、鶴を買って千羽鶴にすることで家計を学ぶのである。「家計」の単元は「消費者の立場」と「労働者の立場」の2つに分けて学ぶ。
その後、折り紙を販売する教師の企業(野島商事)が倒産し大恐慌に覆われるという波乱がある。景気変動を実感するわけである。野島商事倒産の後、大恐慌を立ち直らせるべく、政府が生徒の手によって作られ、野島商事にかわって、折り紙を計画的に提供することになる。第4単元「政府」の学習である。
次の国際経済の第5単元では、クラス間でお金の色を変えてあるので、クラス間通貨としてドルを発行してクラス間貿易も行う。
こうして授業はシミュレーション活動の展開に従って、貨幣と価格・企業・家計・政府・国際経済の順に学び、最後に鶴モデルを離れて現実の経済問題を学ぶという構成になっている。
(4)実践の具体例
この実践を行いやすいように、シミュレーションを立ち上げるまでの第1単元の最初の3時間と金銭教育に関係の深い第3単元「家計」の1時間を選んで授業の実際の様子を紹介する。
1時間目 「お札を作ろう」貨幣の役割
まず、本物の紙幣(1万円札)を私が示す。「わずか原価数円の紙幣がなぜ1万円として流通するのだろう」と発問する。交換手段としての貨幣の本質に気づかせ、本当の価値は生産財とその背景にある人間の有用な労働であることを確認する。
ここまでなら、多くの教師が実践している内容だと思う。私の実践の違いはここからである。「交換手段としてとても役に立つことが分かったね。では、お金の便利さを実感しましょう」と切り出して、授業用紙幣プリントを一人1枚ずつ配布する。教室は驚き、笑い声、興奮で騒然となる。
まず、紙幣をコピーするだけでも違法行為になることを含め、偽札作りがいかに大きな犯罪になるかを伝え、おもしろ半分でも絶対にやってはならないことをしっかり説明する。私は該当刑法の条文・量刑を板書し書き取らせている。
ここで大切なことは、他人の労働をかすめ取る行為になるからこそ偽札作りが重い犯罪になるという理由をしっかり感じ取らせることである。有用な労働の貴重さという経済倫理を身につけることこそが大切なのである。生徒は、おもしろさと同時にこの授業の真剣さに気づかされる。生徒はしっかり教えられていれば、紙幣のコピーなどによる、通貨偽造犯罪を中途半端にまねることは絶対にしなくなる。
2時間目 「売り買いしよう」契約とは
前時の最後に、ワークシートを配り、売りたい商品のアイディアをカタログとして作らせておく。本時はそれを教室でお札を使って売買させる。鶴のシミュレーションの前段階となる生産消費・売買契約の授業である。
生徒は商品をまず10分間売り買いし、商品を作って売る楽しさ、買う時の選択の緊張感とおもしろさを味わう。
売り買い終了後、総売上を計算し、これがこのクラスの市場経済の総生産=総消費=総所得であることを知らせる。再び10分間売買を行い1回目と比較する。ここで市場経済の循環と三要素を教え、2回の総売上の増減を比較し、これが経済成長率になることを学ぶ。市場経済の基本構造とGNPなどの経済指標の意味はこれで理解できる。なお、GNPを過信しないように、自給自足の生活はどんなに豊かであってもGNPはゼロになるということも併せて説明しておく。
次に生徒に自分の2回の売買体験の中身を「契約」という視点から振り返らせる。何気なく行った売買に、自由で対等な関係があったかどうか、責任もって履行したかを見直させる。「契約」の意味についてしっかり確認するのである。
この2時間では、マクロの視点で「市場経済の基本の枠組み」・ミクロの視点でその中で生きる「市民としての行動原理」という2つを体験を通して学ぶわけである。最後に、お金を元の持ち主に戻させる(お金の裏に名前を書いておく)。生徒は思わぬ人からお金が返ってくる体験をする。これによって、通貨の交換手段としての本質(=「お足」)を実感できるのである。
3時間目 鶴の売り買い
ここから、折り鶴を作って売り買いするシミュレーション活動が本格化する。生徒には、これから3ヶ月間このクラスが一つの世の中になって、お金を使って生産消費をする経験をしてもらうことを告げる。原料の折り紙の束を生徒に見せてこう話す。
T:1枚千円で野島商事が売るから、みんなは自由に折り鶴を作って売って儲けてください。鶴を折って売ることが企業。一人でやってもいいし、友達と組んで会社を作ってもいいよ。そして、生活班が家計だ。班で儲けたお金を集めて鶴を買って千羽鶴を作りましょう。つまり、世の中の商品・サービスが鶴と言うことになるね。11月までに千羽鶴ができれば受験のお守りになるよ。きれいさも大切。クラスの経済が活発なら、11月頃クラスに6本くらいの千羽鶴の束がきれいに飾られるはず。もし、活発でないと干し柿かタマネギを干したようなみすぼらしい鶴になるでしょう。それから、鶴が売れなくて破産する人も出るかもしれないから、そうならないようがんばろうね。今日はサービスで野島商事が開店記念セール。折り紙1枚を全員にただでプレゼントしよう。
生徒は、まず自分の持っているお金を企業のお金と家計のお金に分ける。この際、企業のお金と家計のお金を混同しないよう指導しておくことが必要である。これをしておかないと、今後の展開で混乱する。これは社会生活上のモラルとして「横領」の罪を教え公私の区別をわからせておくことにもつながる。次に、自分一人でも友人と仲間を組んでもいいから、鶴を製造販売する企業をつくり、企業用のお金を出資する。生徒は、気のあった仲間と始めたり一人で始めたりする。さらに、生活班で鶴を買って千羽鶴にすることを確認する。これで企業と家計が作られた。
こうして一人5万5千円、一クラス35人の市場規模約200万円の市場経済が作られたことになる。その後の展開に応じて野島商事が紙幣を増発して市場規模を拡大させるのである。こうして授業がスタートする。なお、この授業では、2万枚近くの折り紙を必要とするが、300枚セットで300円程度のものを業者から購入する。社会科教材費として2万円程度を学校予算に組み込んでおくことが必要である(もちろん、この2万円についても、税の使い道の授業のところで公共サービスの一例として紹介する)。
教室は、鶴の折れる人と折れない人とでわっとにぎやかになる。ふだん大人しく目立たなかった生徒が折り鶴作りがうまくて、他の生徒が教えてもらい始める。私は「ただで教えてもらうなんてずるいかもね。千円取れば」などといったりする。
10時間目 家計の立場
第2単元「企業」に続く第3単元「家計」の第1時間目である。シミュレーション活動は、企業を早めに終わらせ、家(生活班)に帰らせる。今までは、作ること売ること中心で、そちらにばかり関心が行っていたため、この時間から買った鶴を千羽鶴として糸を通す作業に目を向けさせるのである。
班で机を合わせ、今までに買った鶴を全部集め、きちんと色ごとに整理し、見た目を美しく糸に通させる。生徒は集まった鶴の数、つるされた時の配色や形の美しさなどを初めてしっかり意識することになる。そしてこう伝える。
T:今まで、売ることばかり考えていたでしょう。でも、こっちも大切なんだな。鶴を作るのは、儲けるためじゃなくて、本当は千羽鶴のお守りを作ることだったでしょう。
S:なるほど。
T:お金自体が目的なのではなくて、お金を上手に利用して生活を豊かにすることこそが大切だったんだよね。つまり、鶴の市場経済で言ったら、会社を大きくすることはおもしろいけど、もともと本当の目的は鶴を買ってきれいな千羽鶴を作る、つまり生活を豊かにすることでしょ。みんな忘れていなかったかな。
S:たしかに。だって、会社をやってるとおもしろいもん。のめり込んじゃう。
T:家のことを忘れて仕事に没頭すると言うことだね。仕事、仕事で体までこわしたり、家庭が冷え切ってしまったり、子供が不良になったり・・・・。同じじゃないかい。
S:そうかあ。
こうして、生産者=企業の立場から家計の立場へと、目を転じさせるわけである。
中学生たちの多くが、家計の立場をあまり自覚しない生活を送っている。親に自分のこと一切を面倒見てもらって、受験勉強や部活動にいそしむのが当たり前という日常を送り、その土台がどうやりくりされているかを意識できている生徒は大変少ない。
この生徒の日常は、その背景に、現在の日本経済の持つ「生産側(供給側)優位」の歪んだ市場構造があるだろう。日本社会の様々な場面で生産(企業・供給)側が主導権を握り、再生産(家計・需要)側は従属している。中学生の生活も例外ではない。そこに気づかせ、忘れられがちな家計の大切さを自覚させるのが本時の目標である。本当の豊かさとは、この自覚から始まるのだろうと思う。
企業戦士が単身赴任してカップ麺ばかり食べて死んでしまった話を付け加えながらこう話す。
T:鶴を買うためには、会社からきちんと給料をもらってこなければならないね。どんな鶴を買うかセンスも問われるよ。収入の範囲内でできるだけ沢山質のよい鶴を買わなければならないな。千羽鶴を達成するための購入計画も立てなければいけない。
これらはすべて、自立した大人が家計管理でやらなければいけないことなんだな。
大人になるというのはそういうことなんだよ。子供を育てるには、こういうことがきちんとできなきゃいけない。親の苦労が、少しはわかるかな。
各班では、お金の管理や買い方を巡っていろいろなやりとりが始まる。中には「先生、うちの班の男子を何とかしてください。お金の使い方がでたらめで」などと訴えられ、しょげかえっている生徒もいる。こうして、家計の授業が始まるのである。