著名人・有識者が語る ~インタビュー~
脳のことをちょっと意識すると毎日が変わってきます。
脳科学者 中野 信子
脳科学者として研究活動を行い、数多くの著書をもつ中野信子さん。
テレビ番組にも多数出演し、脳科学の観点からのコメントは注目を浴びています。
そんな中野さんに、脳科学の道に進んだいきさつや、日本人ならではの脳の特徴についてうかがいました。
中野 信子
(なかの・のぶこ)
脳科学者。東日本国際大学教授。1975年生まれ。東京都出身。東京大学工学部卒業。同大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。医学博士。2008年から2010年まで、フランス国立研究所ニューロスピン(高磁場MRI研究センター)に勤務。著書に『脳内麻薬』(幻冬舎新書)『脳はどこまでコントロールできるか?』(ベスト新書)『サイコパス』(文春新書)『科学がつきとめた「運のいい人」』(サンマーク出版)ほか。脳や心理学をテーマに研究や執筆活動を精力的に行っている。
自らの生きづらさの原因を求めて
脳科学者として幅広い活動をされている中野さんが脳の研究を志したのは、自分の行動に対する周りの指摘からだったと言います。
「小さな頃から、両親や友達から、どうも私の振る舞いはおかしいという声が聞こえていたんです。自分ではそうは思わなかったんですけれど。それで、その原因は何なのかと幼稚園時代くらいからずっと思っていました」。
いよいよ周囲との違いが際立ってきたのが中学生のとき。なぜ皆はテストでいい点を取らないのかと発言し、クラスメートを驚かせたそうです。「みんながどん引きしているのを見て、いよいよ自分は崖っぷちだ、どうにかしなければと思いました。自分でどこがおかしいのかわからないのが致命的で、普通の人の振る舞いというものを何らかの形で学習し、少なくともそう求められる場では、普通の人のように振る舞えるよう頑張ろうと思いました」。
学生のうちは勉強さえできていればなんとかなるだろう、でも社会に出たら自分は周囲と良好な関係を築いていくことはとても無理ではないかと、その歳にして思ったそうです。
「卒業すれば、私はあっという間に世の中からいらない存在として扱われるという恐怖感がありました」。
自分の変わった振る舞いの原因はどこなのか。胃でもなければ心臓でもない、脳だろう。脳の勉強をしたら手がかりが得られるかもしれないと考えたところが少女中野さんの中野さんたるゆえん。さっそく書店で脳について書かれた本を探しましたが、人の振る舞いを決める高次機能は脳のどういうところが担当し、どのような活動があって人の行動に結びつくのだろうか、というようなことを知りたかった中野さんを満足させる本は見つかりませんでした。
「当時は脳の各部位がどのような働きをしているかを特定し、適切な時間経過に沿って画像を描出できる機械もありませんでした。これは装置をつくるところからやらなくちゃダメなのかとため息をつくような状態でしたが、やらないよりはマシだろうと大学では工学部を選びました」。
そうこうしているうちにMRIを利用して脳や脊髄の活動部位を視覚化する方法(ファンクショナルMRI)が開発され、現在脳科学と呼ばれる分野の加速度的な発展をもたらすことになります。中野さんは医学部の大学院を受け直し、神経科学そして認知科学を専攻。その後フランスに渡り、設備も人材もそろった研究所で研究しました。まさに中学生の頃からの目標を果たしていきます。
「脳科学を研究して安心しました。データを見てみると、私のように変だと言われそうな人が一定数いること、そして彼らは脳のこのあたりの機能が未発達であるとか、過剰に活動しているようだとかがわかりました。普通の人がある領域をより使っているのであれば、自分はそこをうまく使えないとしても、他の部分でなんとかカバーし、同じように振る舞うことも可能になりますね」。
中野さんは自分の苦手なシチュエーションを記憶し、そこに適切な反応をした人の真似をするという方法で「変」と言われる行動を修正してきたと言います。
「機械が学習するのと同じやり方ですね。それをやってなんとかなっているかなあ。あ、なっていなかったらすみません」。
運は平等に降り、強運の持ち主は脳がそれを生かす
中野さんは脳をコントロールしたりトレーニングしたりすることで、もっと豊かで充実した日々を送ることができるという考えを広めています。そもそも脳というのはそう簡単に変えることができるのでしょうか。
「脳も体の一部なんです。皆さん筋肉を鍛えることは一生懸命やりますね。確かに、脳は残念ながら外から見えないので自覚しにくいのですが、体の一部である以上、自分で変えられる部分もゼロではないのです。前頭前野と海馬といった脳の一部は、大人になっても細胞が増えて成長するということが最近の研究でわかっています。ただ、せっかく生まれた細胞も、回路に組み込まれてしっかり栄養が与えられないと死んでしまいます。新しい細胞を回路に組み込むためには、積極的に記憶する、意思決定をするといった形で使ってあげることです。それが脳のトレーニングなんです」。
さらに、中野さんは脳をトレーニングすることで強運さえも手にできると言います。脳と運というのはちょっと関わりのないもののようにも思われますが。
「実は運というのは皆に平等に降っていて、チャンスは平等にあります。これは実験でも実証されているんです。それなのに、私たちは運のいい人と悪い人がいるように感じています。なぜだろう、運の良し悪しというのはその人の振る舞いではないだろうかと研究者が着目しました」。
ポーカーにしても、最初に配られたカードはランダムで平等な「運」だけれど、手札が弱くても上手ければ勝てる場合がある。つまり、運は誰かから与えられた得体の知れないものではなく、技術なのだと中野さんは言います。負けそうなときは被害を最小限に、勝てるときは大きく勝つという「技術」なのだと。
「研究者は、まず性格傾向に着目しました。ビッグ5といわれる特性5因子を使った性格傾向の尺度があります。開放性、外向性、誠実性、協調性、神経症傾向の5つです。自分で運がいいと思っている人は開放性と外向性のスコアが高いことが実験からわかっています。こうした人たちは、落ち着いて行動し、新しい物事にも挑戦し、自らチャンスをつかんでいく傾向があるようです。このスコアが低い人に思考パターンを変えるトレーニングをすると、内観が変わりはじめ、『いいことが起こるようになった』と報告されたという結果が得られています」。
この国で生き延びてきた遺伝子の意味
この2つを伸ばすようトレーニングしていけば運が開けるのであれば、その方法はぜひ知りたいものですが、中野さんは、これはあくまで欧米の実験であり、そのまま日本人に置き換えられるかどうかは未知数だと言います。
「日本人の性格はかなり特徴的で、ビッグ5の中でも際立っているのは誠実性と協調性です。つまり、そういう戦略を備えた人たちが日本では生き延び、子孫を残しやすかったということ。開放性・外向性の高い人たちは一時的にはチャンスをものにできたかもしれませんが、長い歴史の中では、然るべき理由によって数が減ったと考えられます」
日本が島国であること、地震などの災害が多いこと、そして稲作文化の国であるという環境が大きく影響しているのではないかと中野さんは言います。自分1人が生き延びることよりも、配偶者を得て安定的に遺伝子を伝えていくには、誠実性・協調性の優れた人のほうが有利であったのではないかと。
「1人勝ち上がることを運がいいと思うのか、自分の子孫を残していくことを運がいいと思うのか。人々の幸福度についての国別ランキングを見ると、日本はいつも低く出ますね。これは、欧米の尺度で幸福度を測っているからなのです。それは自分の成功、アチーブメントです。日本はどうかというと、あまりここには重きを置かず、自分が誰かにどれだけ必要とされているか、愛されているか、認められているか、そういうところを幸福度の重要な柱として捉えます」。
こうした性格の違いは、脳の違い、遺伝的バックグラウンドにも原因があると言います。例えば脳内のドーパミンという物質を代謝する酵素の違いにより、ドーパミンが長く脳内に残るか、早く代謝されてしまうかの差が出ます。後者が多い日本人には、あまり自分で意思決定せず人に合わせるタイプが多く、その割合はなんと73%だそうです。
では、私たちが脳をバランスよく健全に保ち育てていくためには、日々の生活でどのようなことを心がけていけばいいのでしょうか。「ちゃんと食べる。ちゃんと運動する。ちゃんと起きる。適度なストレスも、実は刺激になって脳を育てる場合もあります。ちょっと背伸びをするくらいの負荷をかけて、肉体と同じように脳も適切に使っていけるといいですね」。
そして、日本人にちょっと足りない開放性・外向性を上げていくには、「たまには知らない街をお散歩してみましょう。新しい人と交流してみましょう。読んだことのない本を読んでみましょう。新しい経験を怖がらずにちょっとやってみましょう」。
見えない脳のこと、しかしあなた自身をつかさどっているに違いない脳のことをちょっと意識してみることで、また別の可能性や新しい世界が生まれるかもしれません。
本インタビューは、金融広報中央委員会発行の広報誌「くらし塾 きんゆう塾」vol.41 2017年夏号から転載しています。