著名人・有識者が語る ~インタビュー~
歳とともに変化する自分の歌声を受け入れ、楽しみたい
歌手・俳優 石丸 幹二
日本にミュージカルを根づかせた「劇団四季」の看板俳優として人気を博し、退団後は歌手、俳優として舞台やテレビで大活躍する石丸幹二さん。
楽器に魅せられた少年時代、何も知らずに飛び込んだミュージカルの世界で過酷な試練を乗り越えてつかんだ栄光、そして新たな旅立ち。
人々を魅了する美声と甘いマスク。
正統派の二枚目から敵役、コミカルな芝居まで、多彩な魅力を放つ石丸さんの「これまで」と「これから」にじっくり迫ります。
石丸 幹二
(いしまる・かんじ)
1965年愛媛県生まれ。東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。在学中、劇団四季のオーディションを受けて合格、1990年、25歳のとき『オペラ座の怪人』のラウル役でデビュー。2007年、劇団四季を退団、1年間の休養を経て舞台に復帰。以後、テレビや映画にも進出、ソロ歌手としての活動も精力的に行う。2019年1月からは舞台『オペラ座の怪人』の続編『ラブ・ネバ—・ダイ』で主役のファントム役を演じる。
禁断のレコード鑑賞から 楽器の魔力にとりつかれる
愛媛で生まれ、千葉で育った石丸幹二さん。子どものころから周りに音楽があふれる環境で育ったのかと思いきや、決してそうではなかったといいます。
「音楽家の家系ではないですし、両親もとくに音楽に造詣が深いわけではありませんでした。ただ、家には立派な家具調のステレオセットがあって、4、5歳くらいから、それで音楽を聴くのが好きでした。当時はレコード盤に針を落として聴く方式だったので、親には『傷が付くから触っちゃだめ』といわれていたのですが、親がいないときにこっそり聴いていましたね。だめといわれると触りたくなるのが子どもの心理じゃないですか(笑)。クラシックやイージーリスニング、歌謡曲など、家にあるレコードを1人で聴くのが、いわば禁断の遊び。それで音楽に対する耳が鍛えられたのか、楽器にも興味を持ち始めて、6歳のときにはエレクトーン教室に通うようになります」。
スイッチ一つでさまざまな楽器の音色が出るエレクトーンに触れながら、石丸さんは子ども心に「こんなに面白いおもちゃはない」と思ったといいます。「楽器を弾くというより音で遊ぶ感覚」だったそうです。
小中高と楽器への好奇心はますます強くなり、トロンボーン、サックス、チェロなどを次々に手がける「楽器の魔力にとりつかれたような子どもだった」と振り返ります。そして、一番得意だったサックスを生かして東京音楽大学器楽科へ。「アルバイトとして飲食店などでよくサックスを演奏していました。ちょうどバブル絶頂期で学生ながら高給をいただいていましたね」。
でも、そのままサックスを続けていても将来の展望は見えません。そんなとき、石丸さんは偶然テレビで目にしたオペラ歌手、ジェシー・ノーマンの歌声に衝撃を受けます。「シューベルトの『魔王』を歌っていたのですが、その歌唱と表情による表現は、楽器を超えていると思いました。いきなり頂点の人に出会ってしまった感じですが、『この人のように歌で表現がしたい』と思ったんです」。
クラシックの歌の魅力に惹かれていった石丸さんは、猛勉強して東京藝術大学音楽学部声楽科に再入学。楽器から歌へと、その航路を変えていきます。「自分はオペラ歌手のような声は持っていないので、まず声を磨くことから始めました。先生にいわれたのは、『男の声は20代では完成しない。30、40歳くらいの一番いい声が出る時期をめざして今は基礎を作れ』ということ。これは当分稼げないなと思いました(笑)」。
何も知らずにミュージカルの世界へ。 劇団四季での試練、栄光と限界
ジェシー・ノーマンのような歌手になりたいと夢見た石丸さんでしたが、海外の歌を日本人が聴く場合、語学に長けている人以外、歌詞の意味を直接理解することは困難です。日本人の観客に向けては、日本語で表現するのが一番よいのではないかと思い至ります。そこで出会ったのが、劇団四季のミュージカルでした。
「大学のOBから、『日本人が日本語で歌うミュージカルをやっているところがある。オーディションがあるから受けてみろ』といわれたんです。ミュージカルについては何も知らなかったのですが、それまで学んできたクラシックの歌唱が生かせるのではないかと思い、受けてみることにしました。同学年の人たちが就職する年齢になっていたこともあって、OB訪問をして就活するような感覚でしたね」。
劇団四季は、ミュージカルを中心とした日本を代表する劇団です。石丸さんは、予備知識を持っていなかったおかげで、先入観なく、ミュージカルの世界に飛び込んで行けたのかもしれません。試験に合格して劇団に入ることになりますが、当然ながら、歌だけではなく、踊りや演技など、厳しいレッスンが待ち受けていました。
「劇団四季の代表で演出家の浅利慶太さんに最初にいわれたのは、『観る天国、やる地獄』という言葉です。『ミュージカルは、観る側にとってこれほど楽しいものはない。しかし、演じる側は、高いレベルに達するまで自分を追い込まなければならない。それが一生続くのだから地獄だ。でも好きなら続けられるだろう?』と。そのときは正直、『苦しくても一生続けられるほど自分は好きになれるだろうか』と思いました」。
レッスンに励む日々。しばらくして、浅利さんから「やる気があるならば、ミュージカル『オペラ座の怪人』にチャレンジしてみたらどうだ」といわれた石丸さんは、「できるかどうかは分からない。でも、自分の力を試してみたい」と決意します。
1990年、石丸さんは25歳で見事『オペラ座の怪人』のラウル役で初舞台を踏むことに。「自分自身、やりきったという手応えはありました。でも、きっとまだまだだったのでしょう。浅利さんには『高校野球の球児のように、一試合ごとに積み上げて強くなっていけばいい』といわれました。そうやって一つずつ積み上げていくことがプロへの近道だと気づいた瞬間でしたね」。
やがて石丸さんは、テノールの美声と華麗な身のこなし、持ち前の甘いマスクで人気を博し、劇団四季の看板俳優としての座を獲得していきます。「順風満帆では決してなくて、その都度さまざまな試練が与えられ、それを乗り越えると、また次の試練が待っているという繰り返し。プロというものは、一つの成果を出したら、次にはそれを超えなければ使ってもらえない、まるでロッククライミングのようなものだと思いましたね。とにかく高みをめざして登るしかない。下を見ると後輩が次々に登ってきて、油断をすると一気に抜かれていく。常に頭と体をフルに使いながら上に行くための方法を模索する必要があるんです」。
歌、芝居、踊りが一体となった総合芸術であるミュージカルの世界。絶えず高みをめざすことが求められる劇団四季の舞台に立ち続け、いつしか40歳を過ぎた石丸さんは大きな決断を迫られます。長年酷使し続けた体のあちこちが故障を来し、それまで通り歌い演技することが困難になり始めたのです。「このまま自分がいたら足手まといになる。走り続けながら故障を直すのは難しいので、一度そこから降りるべきだと思いました」。
そして2007年、42歳で17年間在籍した劇団四季を退団。そこから石丸さんの新たな人生がスタートすることになります。「劇団を出たことで、それまでとは見える景色が変わりました。鈍行列車から見える景色は特急列車とは違いますよね。よりリアルな風景が見えるようになってきたし、今まで気にしなかったものにも目がいくようになりました。これからは自分なりのスピードで進みながら、幅広く、奥深く物事をとらえていこう。そう思いました」。
退団後の新たな挑戦。 円熟を迎える歌と芝居
退団後の石丸さんの名前と顔が広くお茶の間に知れ渡るようになったのは、なんといっても2013年放送のドラマ『半沢直樹』です。堺雅人さん演じる主人公の敵役である浅野支店長役は大きな話題になりました。劇団四季時代には正統派の二枚目を演じることが多かっただけに、最初は敵役を演じることにやや不安があったそうです。
「ただ、長年応援してくれているレストランの店主に、『悪を演じられるようになってこそ本物。悪の色気を出せる俳優にならないと』といわれていたこともあって、ぜひこの機会にチャレンジしてみようと思いました。劇団四季では、サラリーマンといった普通の役を演じることはないので戸惑ったのですが、銀行の関係者の方にお会いして、どういう物のとらえ方をするのか、専門用語はどんなときにどんな感じで使うのかなどをお聞きしてヒントをもらいました。そのとき、『浅野支店長みたいな人は実際にいますか?』と聞いたところ、『普通にいますよ。この設定はリアルです』といわれたので(笑)、だったらそれほど誇張せずに演じればいいのかなと思いました。この役を演じたことで演技の幅が広がりましたし、いろんなジャンルのキャラクターを演じていきたいと思えるきっかけになりましたね」。
2017年からは、50年以上続く長寿音楽番組『題名のない音楽会』の司会にも抜擢され、新たな扉を開きました。「お茶の間に音楽を届ける案内役なので、視聴者の目線になって、どうしたら興味を持ってもらえるのかを考え進行していますが、まだまだ試行錯誤中です」。
音楽の案内役として、クラシックやミュージカルに馴染みのない人が観劇やコンサートを楽しむためのアドバイスを求めると、こんな答えが返ってきました。
「舞台を観ることは、日常ではなくハレの日の行為です。その特別な日に見合うパフォーマンスをしようという話を演者同士でもよくします。例えば、特別な人と出かける日に観劇を予定に組み込んでもらうと、より思い出深いものになるのではないでしょうか。初めてミュージカルやクラシックのコンサートをご覧になる方は、普段よりちょっとだけお洒落をして、その雰囲気を楽しむ気持ちでいらっしゃれば、きっと大切な時間になるはずです。普段ジーンズしかはかないような男性も、スーツを着て蝶ネクタイを締めるだけで気構えが変わりますから、ぜひおすすめしたいですね」。
現在、石丸さんは53歳。歌手、俳優として円熟を迎える年代になろうとしています。
「劇団四季を退団してから、アルバムを作り、コンサートを開くという、ソロシンガーとしての音楽活動も行うようになりました。さまざまな歌手の方が70代、80代になって円熟した歌声を聴かせている時代ですから、それをめざして楽しみながらトレーニングしていきたいですね。これからどんな風に声が変わっていくのか、自分でも楽しみです。
舞台での芝居は、その時々のお客さまの雰囲気で変わる生き物ですし、生きた芝居というものに対する特別な魅力は今も強く感じているので、できる限り続けていきたいと思います。一方、ドラマや映画などの映像作品は演出する方のものなので、私の肉体で演じた素材をどう料理してもらえるのかという楽しみがある。今は舞台と映像、どちらも面白いですね」。
ところで、人生100年時代といわれるなか、プライベートではこれからの人生にどのようなビジョンをお持ちなのでしょうか。
「世界遺産をゆっくり巡る旅をしてみたいんです。本物、一流とされるものを自分の目で見て、それをどう感じるのかに興味があります。体力があるうちにしか行けないような場所から行き始めたい。今一番見たいのはマチュピチュの遺跡やナスカの地上絵。そこで感じたものが、歌や芝居にもフィードバックされるといいなと思っています」。
公私ともにますます充実する石丸さん。今後、私たちに、どんな夢を見せてくれるのでしょう。
本インタビューは、金融広報中央委員会発行の広報誌「くらし塾 きんゆう塾」vol.47 2019年冬号から転載しています。