著名人・有識者が語る ~インタビュー~
人生で大事なのは、自分が何をやりたいかを知ること。
私は映画が好きだからこの道を選びました。
映画字幕翻訳者 戸田奈津子さん
映画ファンなら知らない人はいない字幕翻訳界のレジェンド、戸田奈津子さん。
1980年公開の『地獄の黙示録』をきっかけに本格的にデビューを飾り、以後、字幕翻訳者として、あるいはハリウッドスターの通訳として活躍を続け、文化の懸け橋となってきました。
87歳になった今もなお、活躍を続ける原動力は大好きな映画を多くの人に伝えたい、という思いだといいます。
戸田奈津子
(とだ・なつこ)
1936年生まれ。東京都出身。津田塾大学英文科卒。映画字幕翻訳者。アルバイト生活を経て、1980年公開の『地獄の黙示録』で本格的に字幕翻訳者としてデビュー。以来、『E.T.』『レインマン』『タイタニック』『ミッション:インポッシブル』『トップガン マーヴェリック』など、数々の名作の字幕を手がける字幕翻訳界の第一人者。
小学生のとき洋画と出合い、いつしか字幕翻訳の魅力にはまる
戦後間もない東京で幼い日々を過ごした戸田さんは、小学生のときに、華やかな洋画と出合い、カルチャーショックを受けました。
文化的なものが乏しく、美しいものに飢えていた時代です。
戸田さんはあっという間に映画の虜となり、足しげく映画館に通うように。
なかでも高校時代に観た『第三の男』には心をつかまれ、気がつけば50回以上も観賞しました。
字幕を追ううちに、お気に入りのセリフを覚えるまでになり、ふと、「英語では何と言っているのだろう」と気になった戸田さん。
よく聞くと、字幕は直訳とは異なる粋な言い回しにしていることがわかり、「字幕というのは、セリフのエッセンスを上手に日本語に置き換える仕事なんだ。おもしろい!」と感動。
このとき、漠然と「将来は、字幕翻訳の仕事がしたい」と思ったといいます。
「でも、今と違って字幕の作り方を教えてくれる人もいないし、ましてや、どうすれば字幕翻訳者になれるのかなんて、まったくわかりませんでした。
唯一の手がかりだったのが、映画のクレジットにあった<日本版字幕 清水俊二>。
それで、大学生のとき、大胆にも清水先生に『字幕翻訳の仕事がしたいのですが』というお手紙を書いたんです。
先生はお会いしてはくださったけれど、難しいだろうと言われて、残念でしたがこのときはいったん帰りました」。
ターニングポイントはコッポラ監督との出会い
大学を卒業し、丸の内にある会社に就職して秘書として働きだした戸田さんですが、字幕翻訳者への夢をあきらめることはなく、1年半で退社。
通信社の原稿執筆、広告代理店の資料の翻訳など、さまざまな仕事を経験し機会を待ちました。
やがて、30歳を迎えたころ、日本ユナイト映画の宣伝総支配人だった故・水野晴郎氏(のちの映画評論家)からの依頼で、来日した映画関係者の通訳を担当することに。
英会話経験はほぼゼロだったものの、必死で通訳をこなすとそこから通訳や映画の字幕翻訳の仕事が、ぽつぽつと入ってきました。
そして、1976年、戸田さんの運命を変える出来事が訪れます。
当時、『地獄の黙示録』の撮影をスタートさせていたフランシス・フォード・コッポラ監督との出会いです。
戸田さんは日本に立ち寄った監督のガイド兼通訳となり、撮影現場を訪れたり、サンフランシスコのコッポラ邸にお邪魔したりと、精力的に仕事をこなしました。
戸田さんへ全幅の信頼を寄せたコッポラ監督は、なんと『地獄の黙示録』の字幕翻訳者に、新人の戸田さんを大抜擢。
公開と同時にその名前は一気に知れわたり、各映画会社から次々に仕事が舞い込むようになりました。
40歳を過ぎて、晴れて字幕のプロと認められるようになったのです。
「ようやく念願の字幕翻訳者になれたので、依頼された仕事はどんなものでも引き受けました。
心がけてきたことは、映画を観る皆さんが心から楽しめるような字幕を付けること。
映画のジャンルはいろいろで、しかも、いつだってオーダーは『来週までに翻訳をあげてほしい』。
テーマや時代背景、専門用語について、事前に勉強しておく時間などありません。
いきなり映画を観て、そこで初めて映画の内容を理解して、ぶっつけで翻訳するのが当たり前でした。
昔はDVDもなく、もらえるのは台本だけ。
試写室で映像を初めて観て、そのあと音声を聞きながらセリフをどんどん訳し、字幕として適切な日本語に調整し、最後に少し手直しをしたらおしまい。
フィルムの時代は、何度も止めることも巻き戻すこともできず、字幕を完成させるまでに1回しか観ることができません。
そうやって何十年も続けてきました。
今はデジタルになり、自宅のパソコンに映像が飛んでくるのだから、便利になりましたね」。
たった1週間で字幕を付けるとなると、相当なスキルが必要です。
字幕翻訳で大切なスキルについてうかがうと、
「字幕というのは、英語の原文が長くても、数秒で読める文字数の日本語に要約して、しかも誰にでもわかりやすい表現にしなくてはいけません。
どんなに英語が流暢でも、日本語表現が下手では字幕翻訳者にはなれません。
日本語力が8割です。
私の時代は幸い、きちんと日本語教育を受けられたので、それはありがたいと思っています。
最近は翻訳アプリが上手に翻訳しますけど、字幕に適した長さの日本語にする、文学的な表現にするといった技術は、まだAIには無理。
少なくともしばらくは、人間だけができる仕事だと思いますよ」。
確かに戸田さんの字幕は、流れるような自然な日本語で、安心して映画を観ることができます。
それは、幼いときから正しい日本語を学び、良書を読み、美しい言葉を自分のなかに蓄積させてきたからこそだったのです。
映画によっては、若者が使うような新しい言葉がしっくりくることもあるので、戸田さんは、電車内の広告を見たり、街中で若者の話に耳を澄ませたり、さまざまな場所でアンテナを張り、言葉の貯金を続けているといいます。
「日本語は本当に新陳代謝が激しい言語なんですよ。
毎年“流行語大賞”を決める国なんて日本ぐらい。
しかも、1年たつと言葉が古くなるなんて、ちょっとありえないですよね。
仕事柄、新しい言葉はインプットしますけど、どんな言葉がふさわしいかは、映画が決めます。
そうやって、違和感のない字幕を付けるよう心がけています」。
もちろん、英語の勉強も欠かすことはありません。
最近の読書はもっぱら英語の本、それもミステリーです。
「幼いころから、知らない世界を知りたいという好奇心が強く、本も好きでたくさん読んできました。
映画はその延長ともいえますね。
英語で本を読むときは、最近はミステリーが多いです。
犯人を知りたい気持ちが読み進めるモチベーションになりますし、教科書で学べないような、乱暴な言葉遣いも出てきて、字幕翻訳にも役立ちます」。
“狭き門”という門すらない映画字幕翻訳者への道
字幕翻訳で活躍する一方、戸田さんは来日スターの通訳も務め、1990年代はまさに目が回るような忙しさでした。
それでも、映画が好きという気持ちに勝るものはなく、むしろ楽しんで仕事に邁進したといいます。
コッポラ監督をはじめ、トム・クルーズ、ハリソン・フォード、リチャード・ギアなど、綺羅星のごときハリウッドスターとの交流もつとに知られます。
やがて戸田さんに憧れ、字幕翻訳者をめざす人も増加していきました。しかし、
「確かに、今は学校もありますし、字幕翻訳のスキルは学べますけど、残念ながら卒業してもすぐに仕事はありません。
実をいえば、劇場で公開される映画の字幕翻訳者というのは10人程度いれば足りちゃうんです」
と意外なことを教えてくれました。
今、日本では、1年で500~600本ほどの洋画が公開されていますが、1本の映画の翻訳は、早ければ1週間で仕上げられます。
すると、1人で年間50本の翻訳ができる計算になり、10人いれば500本程度の字幕はできてしまうのです。
映画会社としても、長年お願いしている翻訳者に依頼するほうがリスクも少なく、結局、新人にはなかなか仕事は回ってこないのです。
「さすがに私は、もう年間50本なんてやってはいません。
でも、新人が字幕の仕事をもらうのは本当に大変なんです。
私だって仕事をもらえるまで20年かかりましたからね(笑)。
“狭き門”という門すらない世界だということは知っておいてください」。
ちなみに、外国語の映画を字幕で観る習慣があるのは日本ぐらいで、海外ではアフレコ(吹き替え)が主流とのこと。
日本人の識字率の高さに加えて、俳優自身の声を聞きたいという要望が日本人には強く、字幕文化が発達したそうです。
ただ、最近は活字離れが進み、アフレコのほうが楽だという人が増えているともいわれます。
華やかに見えるものの、字幕翻訳者の収入は意外にシビア!
ところで字幕翻訳という仕事ですが、報酬はどのくらいもらえるのでしょう。
うかがってみると、意外にシビアなことが明らかに。
「翻訳料ってね、本当に安いんです。
莫大な製作費をかけて映画を作っても、ヒットせずに数週間で打ち切りになれば興行収入も得られないので、当然赤字になります。
だから、翻訳料なんてほとんどもらえません。
皆さんが考えているよりもゼロが2つは少ないですよ。
去年、『トップガン マーヴェリック』が異例のヒットになりましたけど、あんなヒット作は滅多にありません。
10年に一度じゃないですか。だから、お金を儲けたいという人は、字幕翻訳の世界になんて、絶対来ちゃダメ(笑)。
でも、私はとくにお金に困ったと感じたことはないですね。
アルバイト時代だって、いろいろ仕事をしていれば芋づる式に仕事がもらえたので、365日食べて暮らせるぐらいは稼いでいましたし、私は日々暮らせれば十分なので。
余分なお金を持ちたいという願望もないです。
もちろん、少しおしゃれをしたり、美味しいものを食べたりということはありますけど、それくらいができればもう満足。
お金はなければ困るけど、必要以上にはなくてもいいもの。
銀行に行くといろいろ勧められたりしますが、定期預金さえしていません。
だって、普通預金のほうが出し入れが簡単ですからね(笑)」。
そんなまったくお金に頓着のない戸田さんの目に、通訳を通して交流を深めてきたハリウッドスターたちの金銭感覚はどのように映ったのでしょう。
「それはもう、全然別世界です。
たとえばトム・クルーズのもらうギャラなど、正確には知りませんけど、私だったらどうやって使ったらいいのか見当もつかない額だろうし、ただ驚くばかりです。
でも、考えてみれば、映画製作にはとてつもないお金がかかるし、大勢のスタッフも食べさせなくてはいけない。
世界中を飛び回って仕事をしているから、自家用車を持つ感覚で自家用ジェットを持っているのも当たり前。
そんなふうに出ていくお金も桁違いなのだから、そこはバランスがとれているのでしょうね。
まったく別世界のお話なので、うらやましいとも思いませんけど(笑)」。
字幕翻訳を通して、できるだけ大好きな映画と関わっていきたい
ところで、昨年戸田さんがいきなり「通訳引退」を公表し、世間を驚かせたことは記憶に新しいところ。
寂しい気もしますが、いろいろ考えての決断だったといいます。
「通訳というのは、その場で臨機応変に対応し、即座に訳せなくてはいけない。
そういう場で通訳の思考が止まってしまったら、ゲストの方に失礼じゃないですか。
そうなる前に辞めようと決意しました。
そもそも80代の通訳なんて、ほかにいませんよね。
ただし、字幕翻訳は続けます。
通訳と違って即座の反応は必要ないし、自分のデスクで好きなときにやれて、もともと好きな仕事ですから。
頭がしっかりしている間は続けて、大好きな映画を少しでも多くの人に伝えられたらうれしいですね。
何の運命なのか、私はまだまだ元気ですので」
とにっこり微笑む戸田さん。
今も新作の字幕翻訳に取り組んでいるという、まさに人生100年時代のお手本にしたいような方です。
その若さの秘けつは、ずばり「嫌いなことはやらないこと」。
「基本的には私、健康なんです。
といっても、とくに運動なんてしていないし、食べ物に気を遣ったりもしていないんですけどね。
親がいいDNAをくれたということに尽きますね。
あるいは運がいいだけかもしれません(笑)。
大事なのは、嫌なことはしないこと。
日常生活を送っているだけでも小さなストレスって感じるでしょう。
だから、さらにストレスを感じたくないので、嫌だなと思うことは絶対にしません。
失礼にならないようにしたうえで、嫌いな人とも会いません。
あとは、なるべく好きなことをやることですね。
今の趣味の1つはオペラ鑑賞。
オペラハウスに行ったら数万円かかるだろうけれど、ネットでだって観ることができるんだから。
そう考えると、今はいろいろ便利な道具がそろっていて、本当にいい時代ですね」。
ほかにも、50歳のころから始めた海外旅行も大好きで、ストレス解消にはもってこいなのだそう。
「私の旅はドライブ旅行が主流。
家族や友人を連れて行くんですけど、みんな運転はできないので、いつも運転するのは私。
空港でレンタカーを借りて1~2週間かけて回るんです。
この方法で、ヨーロッパはだいたい制覇しました」。
旅の初心者だと思わずしり込みしてしまいそうな旅プランですが、
「電車では行けないようなところに行きたいので、やっぱり車に限ります。
30年前だと、マニュアル車だしナビもないし、そのうえ左ハンドル。
でも、意外に簡単。
大きな事故を起こしたことは一度もありません。
誰でもできますよ(笑)。
ホテルも決めません。
目的地を決めると『今日はあそこまで行かないといけない』と思ってあせってしまい、ストレスになるので。
そして、日が暮れたら泊まるところを探す。
するとだいたい宿って見つかるんです。
きちっとプランを決めるよりも、そういう旅のほうが断然楽しいです。
私はとくに食べることが好きなので、イタリア、フランス、スペインが好きです。
コロナ禍でしばらく行けていないので、そろそろ海外にも行きたいですね。
もちろん、免許証はもう返納しているので、自分で運転する旅は無理ですけど(笑)」。
自分のやりたいことを見極め、最後の決断は自分ですることが大事
小学生のとき洋画に魅せられ、20年間という下積み時代を経て、道なき道を切り拓き、ついに映画字幕翻訳者としての地位を確立した戸田さん。
好きな道だったからこそ続けてきたし、困難だと思ったことは一度もないと振り返ります。
そんなパワフルな人生の先輩から、今を生きる若者はどのように見えているのでしょう。
「今は私の生きてきた時代よりももっと複雑で、それこそAIなども登場して、環境に振り回されてしまいがちです。
でも、それで自分を見失ってしまったらおしまいです。
どう生きたらいいのかと迷うなら、まず、自分をちゃんと知ること。
自分が何をしたいのかを知り、行くべき道は自分で決めること。
今の人は、他人の意見に影響を受けやすくて、みんながやっているから私も、という“右へならえ”の人が多いけど、流れに乗るのは一番よくないです。
助言を聞くのはいいですよ。
でも最後の決断は自分でするべき。
もっと個性を出して、自分らしく生きましょうよ。
自分の人生なのだから、人が何と言おうと気にしない。
人の目なんて気にしない。
そうやって後悔のない人生を選んでほしいと心から思います」。
本インタビューは、金融広報中央委員会発行の広報誌「くらし塾 きんゆう塾」vol.65 2023年夏号から転載しています。