著名人・有識者が語る ~インタビュー~
落語をとおして、人の心に幸せのタネをまいていきたい
落語家 林家 たい平
『笑点』大喜利のレギュラーメンバーとして、茶の間に温かい笑いを届けている林家たい平さん。
昨夏は『24時間テレビ「愛は地球を救う」』で約100㎞を完走し、大きな話題を呼びました。
寄席への出演をはじめ、独演会・落語会と全国を飛び回っているたい平さんに、落語の魅力をうかがいました。
林家 たい平
(はやしや・たいへい)
1964年埼玉県秩父市生まれ。87年武蔵野美術大学造形学部卒業。88年林家こん平に入門。92年二ツ目昇進。 93年のNHK新人演芸コンクール優秀賞をはじめ、数々の賞を受賞し、2000年真打昇進。2010年武蔵野美術大学芸術文化学科客員教授に就任。2014年より一般社団法人落語協会理事。
「落語」に出会う
テレビにラジオのレギュラー番組出演にと連日大忙しのたい平さん。子どもにも落語の魅力を伝えたいと、落語教室などの活動も精力的に行っています。
「僕の落語教室では、親子並んで落語を聞いてもらっています。お父さんやお母さんには、子どもが自分と一緒に笑うのを見て、『へぇ、こんなことも理解できるようになったんだ』って子どもの成長を感じてほしいんです。子どもには、お父さんが周りを気にしないで大笑いしている姿を見て、普段と違うお父さんを感じてもらいたい。落語にはそういう力があります」。
そう語るたい平さんの落語との出会いは、どのようなものだったのでしょうか。
たい平さんは、落語家としては異色の経歴の持ち主。「テレビドラマの金八先生に憧れて、高校生のころはずっと学校の先生になりたいと思っていました。でも、学科の勉強は苦手だったので、美術の先生になろうと美大を目指すことにしました」。
晴れて美大のデザイン学科に入学し、サークル活動では落語研究会(落研)を選びます。ところが、意外にも落語には「まったく」興味がなかったといいます。「落研は、部員が減って廃部寸前でした。そこで、部員が増えて潰れなくて済むのならと、落語をやりたいわけではないのに、仲間と一緒に入ったのです。その後も真面目に落語をやることはなかったです。居心地がいい、仲間と寄り添っているための空間という感じでしたね」。
ところが、大学3年生のとき、たい平さんは「落語に出会う」ことになります。このころのたい平さんは、自分の将来について少し悩んでいました。大学の授業で教わった「デザインは人を幸せにするためにある」という言葉に魅せられて、志望は美術の先生からデザイナーに変更。人を喜ばせるデザインを作りたいと創作に励む日々でした。しかし、なかなか思うようなデザインができません。「このままで自分はどうなるのか」という焦りが募るばかり。そんなときのことです。
「下宿で深夜、ラジオを聴きながら課題作品を制作していると、柳家小さん師匠の『粗忽長屋(そこつながや)』が流れてきました。声しか聞こえないのに、風景や人の顔が浮かんでくる。次第に引き込まれていって、最後には大笑いしていました。よく観ているテレビのお笑い番組とは違って、自分の知らない、どこか上質な笑いを感じました。身近にあったのに見ていなかった落語を知った瞬間でした」と振り返ります。
「そして、気づいたのです。形に残るものを作ることだけがデザインなのではない。落語という画材で自分なりにデザインすることで人を幸せにすることができるのだって。どうしてもっと早く落語に出会っていなかったのか。そして、自分と同じような人に、落語を発信して『落語に出会う場面を作りたい』と考えました」。
とはいえ、落語ブームにわく現在では考えられないほど、当時落語の人気は低迷していました。落語家になろうというのは、よほどの変わり者か、破天荒な人。はたして自分が落語家になれるのか?それを試すため、着物姿で「落語ひとり旅」と書いた風呂敷包みを背負い、東北の老人ホームや温泉旅館をまわりました。
「石巻の老人ホームでは、部屋に閉じこもってばかりいた80歳のおばあちゃんが『学生さんが落語をやるなら自分は三味線を弾く』と大喜びしてくださいました。そのとき思ったんです。人を笑顔にするつもりで行ったのに、たくさんの笑顔に囲まれて、こちらも元気になる。落語ってなんていい仕事なんだろうって」。
6年半の内弟子生活があってこそ
落語家になることを決意した後、たい平さんはこん平師匠の門をたたき、大師匠の初代林家三平宅で6年半の内弟子を経験します。内弟子とはどんな生活なのでしょうか。
「師匠の家に住み込みで修業をします。掃除、洗濯、買い物と、朝から晩まで家の中の雑用を何から何までこなすという毎日です。お風呂洗いもしますが、銭湯を使うことになっている自分はそのお風呂には入りません。自由時間なんてほとんどない。逃げ出したくなることもあったけれど、落語家になると決めたからには、『やり抜くしかない』と思って頑張りました。言われたこと以上のことをやろう、見ていてくれる人は必ずいると思って」。
内弟子時代、もう一つ心がけていたことがあると言います。それは、大師匠の家族を喜ばせること。
「内弟子って、師匠の家族からすると、まったくのよそ者が自分の家に四六時中いるということですよ。ちょっと普通じゃないですよね。嫌われて出ていけと言われたらおしまいです。だから、『この子がいると毎日がなんだか楽しいね』と思ってもらいたくて。家族という最小の単位を楽しませられないなら、100人、1000人のお客さまを楽しませることなんてできないと思っていました」。
師匠のもとで毎日のように落語の香りや空気を感じることができた内弟子生活。たい平さんは、今の自分があるのは、この経験があってこそだと考えています。
子どものころに身につけたお金に対する感覚
落語家は、目標である真打にたどり着くには、見習いから前座、二ツ目と階段を上っていかなければなりません。
「たくさんの方にかわいがっていただいて、順調に上ってくることができた」というたい平さんですが、それでも若いころには修業だけでなく、お金の苦労もあったのでは。
ところが、「当時、前座は寄席で一日働いていただける『割り』(給金)が500円。たしかにこれだけではキツイですね。でも、落語の世界ってね、上下関係がきっちりしているんですよ。だから、楽屋の一番上の先輩が食事を奢ってくれるし、酒をご馳走になって一緒に帰るときには電車賃まで全部払ってくれるんです。しかも、師匠の家に住み込みだったので、お金は一切使わずに済みました」とのこと。
それでは、割り袋に手を付けずに、少しずつ貯めていったお金でたい平さんが買ったものは何でしょう。
「最初の大きな買い物は、紋付羽織袴です。落語家は、お客さまに夢を売る商売。寄席に来てくれたお客さまに『落語家さんってステキ』と思ってもらいたい。それで、若いころから上等なものを求めていました。それから、二ツ目の昇進時に配る手拭いも、こうして貯めたお金で準備しましたね」。
たい平さんのお金に対する堅実な感覚は、子どものころのご両親の躾も影響しているのかもしれません。
「実家は洋服の仕立屋。両親は夜中まで忙しく働いていて、幼いころから、注文を受けたり、お金を受け取るところを見て育ったのです。1着分の仮縫いをほどく手伝いをすると、50円もらえました」。
ただ、おこづかいは定額制ではなく、欲しいものがあると親に相談して買ってもらわなければなりません。
「何かを買ってほしいというと、うちの両親は、その理由とともに、『それは、今買わなければいけないのか?』と必ず聞いてきます。もちろんすぐに欲しいわけですが、こう聞かれると、立ち止まって考えざるを得なかった。よくよく考えてみると、まだ今持っているものが使えることが分かって、次の誕生日まで待とうということになったりしてね」。
このようなやり取りで、グローブを買ってもらうことにしたときは、毎日学校帰りにスポーツ用品店に立ち寄って、お目当ての商品をはめてみては、「12月の誕生日には僕のものになるんだ」とワクワクしたといいます。そして、こうして買ってもらったものには愛着がわき、ずっと大切に使ったそうです
ところで、落語がお金について教えてくれることはあるのでしょうか。
「『文七元結(ぶんしちもっとい)』や『芝浜』、『千両みかん』、『三方一両損(さんぽういちりょうぞん)』など、落語には、お金をテーマにしているものがいくつもあります。例えば、『文七元結』は娘が作ってくれた大事なお金を、身投げしようとしている見ず知らずの人にあげてしまう話です。荒唐無稽ではあるけれど、泣き笑いするうちに、お金が人の人生を左右することもあれば、大切に使うことで人生を豊かなものにもしてくれることを教えてくれます」と説明してくれました。
落語って人間賛歌
たい平さんに改めてうかがいました。落語の魅力は何でしょう?
「人間って素敵だよねって思えるのが落語です。酒に酔っては失敗したり、小ずるくて他人をだましたり、落語にはしばしばダメ人間も登場します。でも本当の悪人は出てこない。人と人が出会うなかで生まれる喜びや悲しみ、苦しみ、そんな人生すべてを包み込んでくれる。落語って人間賛歌。落語を聴くことで人生が豊かになると思うのです」。
しかし、落語によく出てくる長屋をイメージできる人も、今では少なくなってきています。
「でもね、昔と今でたとえ生活様式が違っても、人情の機微や近所同士のお付き合い、夫婦げんかの原因など、人の暮らしは変わらない」とたい平さん。「最近、落語を聞いてくれる人が増えているのは、皆で豊かさを求めて猛スピードで突っ走ってきたけれど、ポケットから何か大切なものを落としてしまったことに、だんだん気づき始めたからではないでしょうか。急がなくていい、足を止めて周りを見て、毎日のくらしに喜びを感じてもらいたい。落語をとおして人の心に幸せのタネをまいていきたいのです」と語ります。
走り続けるための秘訣
たい平さんの修業時代は、ちょうどバブル経済のさなか。ブランドを求めて海外に大挙して出かけるような時代で、寄席に来る人は少なく、客より出演者のほうが人数が多いこともしばしばだったといいます。そんなある日の夜、たい平さんが新宿三丁目の演芸場の前で客寄せをしていると、憧れの志ん朝師匠がたい平さんに声をかけてくれました。「中途半端にだけは売れるなよ」と。それだけ言って、新宿の街に消えて行ったそうです。
たい平さんは、この言葉の意味を「自分だけが食っていければいいという狭い了見ではいけない。落語界全体がうるおうような、皆を引っ張り上げるような落語家になれ、とハッパをかけてくださった」と受けとめました。
その教えを守って走り続けるたい平さん。ストレスの解消法は何でしょう。
「気分転換が必要だと旅行をしようと思っても、スケジュールが合わなくて、かえって疲れちゃうことってあるでしょ。だから、ささやかなことで良いと思っています。例えば、道端で知らない花を見つけたら、その名前を調べて覚えるとかね。何か一つ新しいことを見つけること、知ることがうれしくて、世界が少しだけ広がった感じがするんですよ」と教えてくれました。
本インタビューは、金融広報中央委員会発行の広報誌「くらし塾 きんゆう塾」Vol.39 2017年冬号から転載しています。