著名人・有識者が語る ~インタビュー~
走ること それは自由を手にすること
マラソンランナー 谷川 真理
普通のOLから実業団のマラソンランナーに転身し、東京国際女子マラソンなど数多くの大会で優勝を勝ち取ってきた谷川真理さん。
今も現役のマラソンランナーとしてさまざまな大会に参加しながら、自らもチャリティマラソンを主催。
走る喜びをより多くの人々に広げる活動に取り組んでいます。
そんな谷川さんにマラソンの魅力や考え方、生き方のヒントを伺いました。
谷川 真理
(たにがわ・まり)
福岡県福岡市生まれ。アミノバイタルAC所属。流通経済大学客員教授。91年東京国際女子マラソン優勝、92年名古屋国際女子マラソン2位をはじめ多くのマラソン大会に出場。ランナーとしてだけではなく、タレントとしても活躍中。
OL時代に目覚めた走る楽しさ
マラソンランナーとして数多くの大会を制覇し、今も現役ランナーとして走り続ける谷川真理さん。取材で訪ねたスポーツジムでは、イキイキと元気いっぱいの姿を見せてくれた。明るい笑顔から、日々を楽しく、一生懸命に生きているパワーが感じられる。
谷川さんにマラソンとの出会いを聞いてみた。
「最初の出会いは中学生のときに入った陸上部だったんです。でも練習が厳しくて挫折してしまいました。それが悔しくて高校ではもう一度、陸上部に入部しました。そのときは関東大会に出場するなど頑張ったのですが、目立った実績は残せませんでした」
走ることは楽しい。ただ練習を強制されることに、谷川さんは苦痛を感じ続ける。それでも陸上部を辞めなかったのは、中学時代の挫折という苦い経験があったからだ。しかし、それ以上に意欲を燃やすこともなく、高校を卒業するとともに谷川さんとマラソンとの関係は一旦途絶える。
その後、谷川さんはビジネス系の専門学校に進学し、やがて大手町にある一般企業に入社。普通のOLとしての生活を続ける。高校卒業後から始めたサーフィンやスケートボード、スキーにディスコなど花のOL生活を満喫するが、物足りなさを感じる毎日が続いた。そんなある日、谷川さんは皇居の周りを走るランナーの姿を目にする。
「その姿がとても気持ち良さそうに見えたんです。そこには何の理由もありません。ただ私も無性に走ってみたい。そう思ってしまったんです」
翌日から谷川さんは会社の昼休みを利用して皇居の周りを走り始めた。皇居の緑を肌で感じながら今までの物足りなさがどんどん満たされていく。谷川さんは、自分が探していたものは、走ることだったと改めて気づいた。
好きだから、楽しみながら優勝できた都民マラソン
昼休みに走る皇居一周。それを続けていくうちに谷川さんは、自分自身の速さを自覚していく。ハアハアと息を切らしながら走る男性ランナーたちを余裕で追い抜いていけたからだ。
そんなある日、親しくなったランナー仲間から都民マラソンに出ないかと誘われた。今の自分なら、いい結果を出せるかも知れない。ただ今は、皇居の周りを走るだけでも十分に楽しかった。
ところが谷川さんは、その優勝賞品がシドニーマラソンの招待であることを知って俄然、やる気になる。それは走ることそのものが楽しくて、その上、頑張れば無料で海外旅行もできるからだ。谷川さんはすぐに出場を決め、今まで皇居一周だった走りを二周に増やした。高校時代に大会を目指して強制的に走らされる練習は嫌で嫌で仕方がなかった。けれども、この時の練習は違った。走る量を増やし、目標であるシドニーをイメージすることで走ることはもっと楽しくなった。結果、谷川さんはその都民マラソンで優勝を手にする。
練習は強制ではなく、自由にこだわり続ける
都民マラソンで優勝した谷川さんは、その後もいくつもの市民マラソンで好成績を残していく。その中で実業団からの誘いがあり、普通のOLからマラソンランナーへと転身する。実業団所属のランナーとして谷川さんが目指したのは、国内外の有力選手が参加する東京国際女子マラソンだった。
実業団は組織であり、トレーニングもチームのルールに従う必要があった。それでも谷川さんがこだわったのが、皇居の周りでの練習だった。
走ることは好き。でも強制されることは嫌。そんな葛藤に悩んだ中学、高校時代を経て、走ることは、自由になることだと教えてくれた場所があった。それが皇居の周りだった。所属した実業団も谷川さんの思いを理解してくれた。そして谷川さんは、世界の強豪が集う東京国際女子マラソンを迎えた。
「東京国際女子マラソンは確かに苦しいレースでした。その中で思い出したのは皇居の周りでの楽しい練習。皇居一周は約5kmですのでレースの中で残り10kmという地点では、『残り皇居二周分じゃない!』と言い聞かせていました。すると苦しい中でも走る楽しさが自然に湧いて来ました」
そして谷川さんは見事に東京国際女子マラソンで優勝を果たした。その後、谷川さんは別の実業団に移籍。そこでも強制的なトレーニングプログラムではなく、自分が好きな皇居の周りでの練習を受け入れてもらった。自分にとって最良の環境を与えてくれた企業やスタッフに応えるかのように、名古屋国際女子マラソン2位、ゴールドコーストマラソン優勝と谷川さんの勢いは止まることはなかった。
チャリティに寄せられたお金で平和の花を咲かせる
24歳で皇居の周りを走り始めて、実業団のマラソンランナーとして数多くの栄冠に輝くなどたくさんの喜びを経験した谷川さん。しかし、決して変わることがないのは、走ることを自由に楽しむ気持ちだった。走ることは、自由を手にすること。その思いをさらに深める人物と谷川さんは出会う。その人物とは、1998年に長野オリンピックで最終聖火ランナーとして走ったクリス・ムーンさんだった。
クリス・ムーンさんは以前、モザンビークで地雷を取り除く作業の最中に地雷の爆発で両足を失い、義足となった。その障害を乗り越え、クリス・ムーンさんは地雷廃絶を訴えるために義足で長野オリンピックの最終聖火ランナーとして走った。そんなクリス・ムーンさんから伴走を頼まれる。
「その前年に参加した東京国際女子マラソンは、地雷廃絶をテーマにして開催され、私は、選手宣誓を務めた関係で地雷について知る機会がありました。そんな矢先にクリス・ムーンさんからお話をいただいたので喜んで協力させてもらいました」
クリス・ムーンさんと共に谷川さんは箱根から東京までの100kmを走り、長野オリンピックに参加している国の大使館を訪れ、地雷廃絶のメッセージを手渡していく。
走ることには、自由という喜びがある。しかし、地雷によってその自由を奪われてしまった人たちがいる。そんな人たちのために、今、自分が走ることでできることがあると、クリス・ムーンさんの伴走の中で感じ始める。
その後、谷川さんは、パキスタンを訪れ、地雷の被害にあった人々から直接、話を聞いた。楽しく自由に走ることができる日本とどこに隠されているかわからない地雷におびえながら生きる現地との違いを目の当たりにした。
「地雷で苦しむ人々が安心して街を歩け、自由に走れる社会を」
その思いは2000年から開催されている『谷川真理ハーフマラソン』として結実する。谷川さんはそこでチャリティ募金を実施し、集まった募金を難民の支援や地雷の撤去のために寄付する運動を続け、2009年1月で10年目を迎えた。
“地雷ではなく、花をください”それが『谷川真理ハーフマラソン』のスローガン。その言葉を通して谷川さんは、募金で寄せられたお金を、平和という花を咲かせる尊い力にしたい、というメッセージを打ち出している。
「普段の生活で、お金を使うことにはあまり関心がない」と語る谷川さん。しかしお金は価値あることに使ってこそ生きるという思いは人一倍強い。
1億2千万総ランナーを目指して
今でも現役マラソンランナーを続ける谷川さんも一度だけ、引退を考えたことがある。それは体力やコンディションが思ったように調整できない状態でレースに参加し、いい成績を残せなかったときだった。
しかし、その考えは、次に出場した市民マラソンで変わる。市民マラソンに参加するたくさんの人々から温かい励ましの声を掛けられたからだ。
「マラソンはただ一人で走り続ける。自分自身もそう感じることがありましたが、多くの人々から温かい励ましの声をいただき、決して一人ぼっちで走っているのではないとわかりました。励ましてくれるのは応援してくれる人だけではありません。外に出て走れば木々や鳥たち、自然のすべてから元気をもらうことができます。いろんな支えと一緒に走るマラソン、その素晴らしさをできるだけ多くの人々に知ってもらうためにも私は、ずっと走っていこう。そう決めたのです」
「マラソンを続けていく中で、苦しさに負けない体力づくりや、そんな厳しさを乗り越えていく前向きな考え方が自然と身につきました。いいことがいっぱいのマラソンをたくさんの人に体験してもらいたいと願っています」
今、谷川さんが掲げる夢は1億2千万総ランナー。束縛されることを嫌い、自由を求めて走ることを始めた谷川さんは、大きな夢に向かって、さらに自由な道を走り続けている。
本インタビューは、金融広報中央委員会発行の広報誌「くらし塾 きんゆう塾」Vol.11 2010年冬号から転載しています。