著名人・有識者が語る ~インタビュー~
自分のコンプレックスと向き合い克服したとき 人生の歯車が回り始めました
タレント はるな愛
東京パラリンピック開会式にサプライズ登場し、話題になったタレントのはるな愛さん。
これまでさまざまな試練や葛藤がありながらも、自分の居場所を見つけ、自分らしく生きてきたというはるなさんに、多様性の時代を生きるために大切なことを語っていただきました。
はるな愛
(はるな・あい)
大阪府出身。2008年、「エアあやや」の芸をきっかけにブレイク。09年『ミスインターナショナルクイーン2009』で優勝。10年には『24時間テレビ「愛は地球を救う」』のマラソンランナーに抜擢され完走する。
タレントとして活躍する一方、都内で3店舗の飲食店を経営。東日本大震災以降、ボランティア活動も定期的に行う。21年8月、東京パラリンピック開会式に参加し大きな話題をさらった。
性別への違和感に悩んだ中学生時代に見つけた自分の居場所
昨年、国立競技場で行われた東京パラリンピック開会式に参加したはるな愛さん。そのはじける笑顔と元気いっぱいのダンスが話題になりました。大舞台に立った感想をうかがうと、
「実は2年半前、インターネット上で開会式のキャストを募集しているのを偶然見つけて、応募したんです。
以前から世界を舞台に活動したいという思いがあり、定期的にダンスレッスンにも通っていたので、思い切って挑戦しました。開会式当日は『見たよ!』、『おめでとう』など、メールがひっきりなしに届いて、本当にうれしかったです!」と、笑顔で答えてくれました。
テレビで拝見するはるなさんは、いつも明るくて前向きなキャラクター。しかし、ここにくるまでには、さまざまな苦労があったといいます。
はるなさんは1972年、大阪で大西家の長男・賢示として生を受けました。しかし、物心がつくころには、お人形やかわいいお洋服が大好きな“女の子”の感覚で生活していたといいます。「体は男の子だけど、いつかきっと女の子になれる」。そう信じていたものの、小学校入学時、祖母から渡されたのは黒のランドセル。「やっぱり女の子にはなれないんだ…」と、現実に気づかされます。
「これから、どうやって生きていけばいいんだろう」と、小学1年生にして、その後の人生について考える日々。中学生になると、“ふつうの男の子”とは違うはるなさんをいじめる同級生が現れます。毎日、大人が見ていない所で陰湿ないじめが繰り返され、自殺が頭をよぎることもあったとか。
「そんなある日、知り合いが『賢ちゃんと同じような人が働いているお店があるよ』と、ニューハーフのショーパブに連れていってくれたんです。行ってびっくり。ニューハーフのお姉さんたちがきらびやかな衣装を着て素敵なショーをやっているじゃないですか。お客さまもそれを見て楽しそうにしている。その光景を見て、『ここが私の居場所だ』と直感しました。
そう思ったらもううれしくて。次の日から学校が終わったらまっすぐお店に行くようになり、充実した時間を過ごせました。不思議なことに、学校でのいじめも、自然となくなっていました。たぶん、いつも不安そうで弱かった私はいじめの格好のターゲットだったけど、居場所を見つけて自信を持った私には、いじめる要素がなくなったんでしょう。
だからね、今、いじめに苦しんでいる子どもたちには、『つらい場所になんか我慢して居続ける必要はない。逃げればいい』そして、『自分の居場所はどこかに絶対にあるんだ』ということを忘れないでほしい。心からそう伝えたいです」。
月給500円でもアイドルという夢を追いかけた20代
はるなさんがショーパブで働き始め、お店で売れっ子になった20代前半のころ、ちょうど日本にニューハーフブームが到来します。はるなさんもテレビのバラエティ番組などに呼ばれ、関西ローカルながら人気が出てきました。そこで、もともとアイドルに憧れていたはるなさんは「さらに上をめざそう」と上京を決意します。24歳の時でした。
大阪のショーパブを辞め、誘ってくれた東京の芸能事務所に所属し、さあ、これから頑張ろう!と希望に胸を膨らませましたが、月に1~2本、小さな仕事がくる程度。月給500円ほどということもしょっちゅうでした。
「バイトしながら、なんとか暮らしていましたが、大阪時代の貯金はどんどん減っていき、昔買ったブランドバッグを質に入れてしのいだことも。親には『大丈夫だから心配しないで。大阪では映らないテレビの仕事をしているんだよ』と嘘をついていました。でも親ってわかっているんですよね。月に一度、お米や缶詰など食料品を箱いっぱい送ってくれて。時には現金が入っていたり、『苦労はきっと報われます。頑張って』と書いた手紙を入れてくれたこともありました。その時は泣けましたね。ああ、頑張らなくちゃって。今もその手紙は大切に財布にしまっています」。
ニューハーフを武器にしたら人生の歯車が回り始めた
上京して4年がたってもアイドルの仕事はほとんどなく、貯金も残り40万円に。何かのきっかけになればと、三軒茶屋で家賃8万円ほどの小さなバーを開きました。しかし、当初はニューハーフであることを隠し、必要最低限の接客しかしなかったため、お客さんはほとんど来なかったといいます。
開店して1年が過ぎ、金銭的にも、精神的にもぎりぎりまで追い詰められたはるなさん。今のままではダメだと、素の自分をさらけだし、バーでニューハーフとして歌ったり踊ったりと、パフォーマンスをしてみました。すると、「面白い」と徐々にお客さんが来てくれるようになったのです。
「私は男であることがずっとコンプレックスでした。それで性転換手術も受け、体は女性になりましたが、本当の女性ではない。だったら自分らしくニューハーフとして頑張ろう、と覚悟を決めたら、途端にお店が軌道に乗りだしたんです。自分が一番認めたくないコンプレックスと向き合い、それを乗り越えたとき、それが最大の武器になり、人生の歯車が回りだした。不思議ですよね」。
はるなさんの名を世に知らしめた“エアあやや”という芸が誕生したのも、この店です。ある日、お店に行くと声がまったく出ないため、歌うこともできません。仕方なく、大好きな松浦亜弥さんや松田聖子さんのDVDを流しつつ、MCや歌の部分を口パクで披露したら、これが思いもよらず大うけ。いろいろな人の前で披露しているうちにマスコミ関係者の目にとまり、ラジオやテレビに出演する機会が増え、一気に知名度があがったのです。
ボランティアや「子ども食堂」 パラ開会式出場につながる思い
その後、タレント活動が軌道に乗ったはるなさんですが、原点となった飲食店経営も続け、現在では3軒のお店のオーナーを務めています。
「芸能の仕事も飲食店の経営も、根っこは同じです。『はるな愛が出ているから、この番組を見よう』、『はるな愛の店だから、飲みに行こう』。そう思ってくださるお客さまに楽しい時間や空間を提供する。どちらもエンターテインメントなんです」。
また、東日本大震災以来、ボランティア活動を続けてきたはるなさんは、数年前から、貧困で十分食べることのできない子どもたちのため、コロナ前までは自分のお店で定期的に「子ども食堂」を開いていました。
「私自身、小さいころは貧しく、悩みを抱えた子ども時代を過ごしました。なので、同じような境遇にいる子どもたちに、何かしてあげたくなるんです。一度きりの人生なのだから、子どもたちには夢を見てほしいし、周囲の目など気にせず、なりたい自分をめざしてほしい。それをサポートするのは大人の務めだと思っています」。
そして、子どもたちには、「大人になると素敵なことがある」ということを知ってほしいので、はるなさん自身が常に目標を持ち、輝いていたいと語ります。今の目標は、世界を舞台に活躍すること。昨年のパラリンピック開会式出演は、その大きな一歩になりました。
「パラリンピックでは、本当に素敵な体験ができました。その体験の中でも一番の宝物は、何百人という世界中の人とつながりができたこと。さまざまな障害がある人との関わりの中で、お互いに思いやり、気遣いながら、目線を合わせて動くことを学びました。たとえば、聴覚障害がある人には、簡単な手話を覚えてコミュニケーションをとるようにしたり、小人症の人のためにはスケジュール表を壁の低いところに貼ったり。ちょっとした気遣いで、みんなが動きやすくなる。ふだんの生活でも、人と違うことを認め合い、もっとお互いが自然にサポートし合えるようになれば、みんなが生きやすい社会になるんだと、改めて気づかされました」。
近年は「性のあり方」についても“LGBTQ”など、多様な考え方が広まり、尊重しようとする動きがありますが、はるなさんはこう話してくれました。
「私はいわゆるT(トランスジェンダー)に属すると思いますが、本当はその枠にも収まらない、もっと自由な存在だと思っています。男の気分の日もあれば、女の気分の日もあるんです。だから、LGBTQという言葉には、むしろ少し窮屈さを感じています。みんな違って当たり前、多様であることが当たり前の世の中になってほしい。『みんな違って、みんないい』というコメントが大会中に発信されましたが、私は、パラリンピックの活動を通じてできた友達が言っていた『でも、みんな一緒がもっといい』がまさにこれからのあるべき姿だと思いますし、それを世界に発信することこそ、私の役割だと思っています」。
お金は上手に使って 次のステージに進みたい
さまざまな経験をするたびに、自分の世界が広がり、それが次のステップにつながっているというはるなさん。きちんと貯蓄はしていますが、お金については上手に使うことも大事だと語ります。
「『年をとっても食べていけるだろう』っていう変な自信があるんです(笑)。だから、お金を貯めることも大事だけど、今は、自分のためはもちろん、人を助けることも含め、お金を使うことにあまり躊躇はしません。お金を使うことで人と出会えるし、その出会いがきっと私を次のステージに連れていってくれる。だから、使うべきところでちゃんと使いたい。そういうお金の使い方、素敵じゃないですか」。
生まれついた性と性自認のギャップに悩んだ日々。居場所が見つからずいじめを経験した中学生時代。上京後の売れない日々。そんな困難を幾度となく乗り越えてきたからこそ、苦しい立場にいる人にいつも思いをはせるはるなさん。「絶望している人が、私の出ている番組を見ているかもしれないですし、私のお店に来てくれているかもしれない。だから、そうした人たちのためにも、目の前の仕事に全力投球します」と語る、そのまなざしにやさしさがにじみでていました。見ている人を楽しませ、勇気づけてくれる、そんなはるなさんのこれからの活躍がますます楽しみです。
本インタビューは、金融広報中央委員会発行の広報誌「くらし塾 きんゆう塾」vol.59 2022年冬号から転載しています。