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著名人・有識者が語る ~インタビュー~

家族を愛する 人生を健やかに過ごす

音楽家 タケカワ ユキヒデ

歌手として、作曲家や音楽プロデューサーとして多彩な音楽活動を続けるタケカワユキヒデさん。
日本を超えて世界中でエネルギッシュに活躍する中、99年にはベスト・ファーザー賞を受賞するなど家族を大事にする父親としても知られています。
仕事に精魂を傾けながら、家族の一人ひとりに全力で向きあってきたタケカワさんに幸福感やお金観、そして有意義に人生を過ごすヒントを伺いました。

タケカワ ユキヒデ
(たけかわ ・ゆきひで)

1952年埼玉県生まれ。75年、東京外国語大学在学中にソロアーティストとしてデビュー。翌76年にゴダイゴを結成、作曲とボーカルを担当し「ガンダーラ」「モンキーマジック」「銀河鉄道999」など、数多くのヒット曲を生む。現在は音楽活動の他、執筆活動、テレビ・ラジオの出演に、講演、コンサート活動と幅広く活躍中。近著に「ビューティフルネームの本」がある。

家族の愛情の中で音楽が自然と好きになる

ドアをノックするとタケカワユキヒデさんがさっと招き入れてくれた。快活そうな笑顔にやや緊張気味だった取材スタッフも気持ちがほぐれる。その表情から「健やか」という言葉が浮んだ。まっすぐのびのびと生きてきた人。それがタケカワさんの第一印象だ。

タケカワさんは三人兄弟の末っ子として生まれた。音楽評論家の父、そしてバイオリンメーカーの創業者を祖父に持つ母親という家庭の中で、タケカワさんは幼いころから音楽に自然と親しんでいく。

「音楽関係の家庭だからスパルタ的に音楽を、という訳ではありません。逆に父は、好きな音楽を存分にできない厳格な家庭で育った分、自分の子どもたちにはのびのびと音楽の素晴らしさに出会える環境を与えようとしていたと思います。ですから上の兄は2人とも小さいころからピアノが大好きでしたし、私自身も幼稚園から習っていたバイオリンの時間が楽しみでした。上手に弾けると褒められるのも嬉しかったですし、人前で楽器を演奏する喜びもこのころから知っていました」とタケカワさんは話す。そんな恵まれた音楽環境の中で才能の芽はすくすくと育ち、タケカワさんは小学校4年生のころには聴いた音楽を譜面に書けるようになっていた。

自分で計画し、目標を実現していく面白さ

中学生になるとビートルズに憧れ、友人たちとコピーバンドを結成したタケカワさん。楽器代は親に頼ることなく自分たちで工面したと言う。当時通っていた中学に給食はなく、昼食代として親から貰っていたお金が100円だった。そこから20円でコロッケパンだけを買い、残りの80円を毎日貯めていく構想をタケカワさんは立て、実行した。元々自分で計画を立て、それを行動に移していくのが好きだったというタケカワさんらしさがそこに表れていた。やがて、バンド仲間たちも同じやり方でお金を貯め始め、ドラムやベース、アンプなどが次々と揃っていった。こうした計画に沿って目標を実現していく高揚感、達成感は、コロッケパンしか食べられない空腹を軽く吹き飛ばした。

その中でタケカワさんは、当時夢中になったビートルズやポール・アンカたちが自分で曲を作っていることを知り、自分の音楽課題に「作曲」を加える。曲は幼いときから校歌風の堅い曲を作ったりしてはいたが、このころから積極的に取り組み、次第にポップスが書けるようになっていった。

音楽家として、そして父親として生きる

やがてタケカワさんは、高校、大学と進み、音楽の熱はさらに高まっていく。もちろん歌うことも演奏することも楽しかったが、曲作りやアレンジなど次第に音楽のすべてに関心を持つようになる。

「音楽に関することはなんでもやってみたいと思うようになっていました。楽器も、ベースやギターからピアノとそれぞれの魅力に惹かれ弾いていました。ジャンルもポップスだけではなくクラシックにも関心が向き、あらゆる音楽を統合した音楽を世に送り出すことができればと考えていたのです」とタケカワさん。作曲、プロデュース、演奏や歌など多彩に活躍するタケカワさんの原点はこのときに形成されたようだ。

ラジオやテレビに出演する機会も増え、タケカワさんは大学在学中に念願のソロデビューを果たす。そしてアルバム作りやライブで出会った仲間と共にゴダイゴを結成する。そのファーストアルバムでタケカワさんは、ハイドンやモーツアルト、ベートーベンが魂を注いだ弦楽四重奏なども取り入れた。自分のやってみたい音楽を形にした喜びは大きかった。けれども出すレコードはなかなかヒットしなかった。そんな矢先、テレビドラマ「西遊記」のテーマソングの話が舞い込んできた。

「ガンダーラの壮大な世界をイメージしながら作った曲をプロデューサーに見てもらいました。曲はサビの部分をマイナーにし、あとはメジャーにしていましたが、プロデューサーがOKを出したのはサビの部分だけでした。全体をマイナーにしたほうがいいというのがプロデューサーの意見だったのです。またリーダーのミッキー吉野からは、楽器を弾きながらではなく、マイクを持って歌うスタイルを提案されました。曲も歌うスタイルも自分の目指していたものとはまったく違うものでした。マイナー中心の曲は自分にとっては簡単にできたため、意識して作らないようにしていました。ボーカルもバンドブームで楽器を弾きながらがほとんどでしたから、とても抵抗を感じたのを覚えています。初期のゴダイゴでは、私はキーボードを弾きながら歌ってたんですよ」とタケカワさんは振り返る。

音楽のすべてが好きなはずだった。けれども曲作りや表現方法という音楽活動の重要なパートにおいて自分の意に反するものを取り入れなければならない現実。それは自分が人生を賭ける音楽に対して初めて抱いたジレンマだった。しかしタケカワさんはそのすべてを受け入れることにした。自分の感性だけではなく、多くの主張を取り入れることでさらに音楽が成長する可能性を信じようと思ったのだ。その結果、「ガンダーラ」はヒットチャートの上位にランクインし、タケカワさんの音楽人生は大きな転機を迎える。

出す曲は次々とヒットが続く。けれども多忙な日々の中で神経はすり減り、疲労も蓄積していく。そんなタケカワさんを癒してくれたのは結婚で手に入れた家族だった。その後の音楽活動も決して順風満帆な訳ではなく、幾度も試練に出合った。乗り越えられたのは妻や子どもたちがいたからだった。タケカワさんは音楽家であると同時に家族に囲まれた父親であることに幸せを感じている。

家族の時間を意識して持とう

タケカワさんはゴダイゴを解散して、作曲家としての活動に専念した後、さまざまなテレビ番組に積極的に出演するようになる。音楽番組だけではなく、ロケなどを伴う番組もあった。

家を留守にする日も増えたある日、タケカワさんは当時人気の女性アイドルグループと一緒に地方ロケに参加。撮影の合間に交わした会話の話題が父と娘の関係になった。そのときの彼女たちの言葉がタケカワさんの胸に突き刺さった。

「彼女たちはそこで『子どもたちとの会話を父親が疎かにすると、子どもはやがて話をしてくれなくなる』とアドバイスしてくれたのです。グサッと来ました。子どもが増え、家族の有難さを分かっていたつもりでしたが、いつの間にかそれが当たり前だと思うようになっていたようです。それからは家族の時間をより一層大事にするようにしました」

そう話すタケカワさんが実行したのは、家族一緒の夕食だった。マネージャーにお願いし、夕食の時間帯には打ち合わせなどの予定を入れないように徹底した。再び大切な時間が戻った。また、タケカワさんは家族がより楽しく過ごすためにさまざまな企画を立てた。そのうちの一つがお誕生会だった。タケカワさんの家族は同じ敷地内に住む親世帯を入れると10人を超える大家族になる。大家族である分、毎月誰かの誕生日が来る。その度に誕生パーティを行っていたが、さらにあるルールを子どもたちと決めた。それは誕生日プレゼントを必ず自分のお小遣いで用意することだった。このルールによって子どもたちは、限られた予算の中で相手が喜ぶものを一生懸命に考え、それを通じてお金の大切さや人のためにお金を使う喜びを知っていく。

ほかにもタケカワさんは子どもへのお金に関する教育について忘れられないエピソードを話してくれた。お子さんは一男五女。その一人に施設から引き取った養女がいる。その子は引き取られた当初は小遣いの使い方が分からなかった。それは施設では必要なものがきちんと渡される一方で、お小遣いという仕組みがなかったためだ。そこでタケカワさんは、「まずは全部使ってみてごらん」とアドバイスすることから始め、徐々に、必要なものとそうでないものを自分で選択してお金を使うことの大切さを教えていった。その結果、最初はノート一冊も自分のお金で買えなかった子どもが少しずつ自分で考えて買う習慣を持ち、自立した生活感覚を養っていった。成長したその子が嫁いでいった日の感動を、タケカワさんは今でも忘れないと言う。

ありのままを喜んで受け入れる豊かさ

タケカワさんにとってお金とは何だろうか。ゴダイゴ時代に売れない時期が続き、解散の瀬戸際まで追い込まれた経験で、お金を得ることの難しさや大切さはよく分かっている。その上でタケカワさんは「お金を『目的』にはしない」という考え方を持っている。「お金になるから音楽をやっている訳ではないのです。ただ、好きな音楽をやって、それに仕事として対価をもらえることは幸せだと思っています」

また、すべてをお金に換算しないことも信条の一つだ。家族の愛情も仕事で得られた仲間も決してお金に置き換えられるものではない。

「よくテレビの番組でいろいろなものの値打ちをお金に置き換えて紹介しています。そのすべてが間違っているとは言いませんが、どんなものでもお金に換えて計算できるという考えには疑問を感じます」

タケカワさんにとって豊かさとは何だろうか。

明確な答えを返す代わりに、ある癖を教えてくれた。それはステージに立ったり、楽器を弾いたりするときだけでなく、パソコンに向かうときでさえ、とにかく音楽に関することをやろうとする瞬間に、つい笑顔になってしまうことだ。それはバイオリンを始めた幼いころから変わっていないと言う。もちろん才能もあるだろう。けれども、与えられたものを前向きに受け入れる心の豊かさ、音楽という好きなものに純粋に打ち込んで楽しむ幸福さが、そんなタケカワさんからは感じられる。

音楽だけではない、好きなものの中には大切な家族も当然含まれるに違いない。もちろん、家族の話をするタケカワさんもやはり笑顔になっている。

与えられたもの、授かったものを、気負わず、ありのままに受け止める。未来のために今どうするかを考え、ポジティブに行動していく。そして深い絆で結ばれた家族と支え合って困難も乗り越えていく。そこにタケカワさんならではのまっすぐで健やかな生き方があるようだ。奏でられる音楽も家族へと注がれる愛情もそれを物語っている。

本インタビューは、金融広報中央委員会発行の広報誌「くらし塾 きんゆう塾」Vol.25 2013年夏号から転載しています。


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