著名人・有識者が語る ~インタビュー~
強い気持ちが夢を叶える
サッカー選手 澤 穂希
2011年のFIFA女子ワールドカップ優勝をはじめとする活躍で、日本サッカー界をけん引し続ける澤穂希さん。
かつては知名度が決して高いとは言えなかった女子サッカーを盛り上げ、 今でも中心選手として活躍を続ける澤さんの子ども時代、サッカー選手としての日常生活、そして「夢の叶え方」について伺いました。
澤 穂希
(さわ・ほまれ)
1978年9月6日、東京都生まれ。12歳で読売ベレーザに入団。15歳の時に日本代表入りして17歳でアトランタオリンピックに出場。 20歳で渡米し5年間アメリカ女子プロリーグなどでプレー。2004年に日テレ・ベレーザに復帰。2009年アメリカ女子プロリーグに再挑戦し、 2011年INAC神戸レオネッサに移籍。オリンピック4大会、ワールドカップ5大会に出場。2011年FIFA 女子ワールドカップで優勝し、大会MVPと得点王。 2011年度FIFA 女子年間最優秀選手。2012年ロンドン・オリンピックで銀メダル獲得。2014年AFC女子アジアカップ初優勝。 同年、なでしこリーグ300試合出場とアジアサッカー連盟殿堂入りを達成。国際Aマッチ出場197試合、82得点。(2014年12月5日現在)
サッカーとの出会い 好きなことをやらせてくれた母
Jリーグが発足した1993年当時でも、ボディコンタクトが激しいサッカーというスポーツを女子がやることは、それほど一般的ではありませんでした。 そうした中、澤さんはずいぶん前からサッカーを楽しんできたそうですが、それにはどんなきっかけがあったのでしょう。
「小学校に入る前、ひとつ歳上の兄が通っていたサッカークラブに遊びに行ったときに、コーチから『妹さんも一緒にボールを蹴ってみないか?』と誘われ、初めてグラウンドに入りました。 自分が蹴ったボールがゴールの中に吸い込まれて行くその感覚がとても気持ちよく、すごく嬉しかったことを今も鮮明に憶えています」
そのときの記憶を胸に残したまま、小学2年生になった澤さんは、お兄さんと同じサッカーチームに入ることを熱望したといいます。
「でもそのチームでは女子の入部は認められていなかったんです。しょげかえる私をみた母が何度もチームにお願いして、 ついには『女子の入部の前例がないのなら、ウチの娘で新しい歴史を作ってください』と押し切って、ようやく入部を許されたんです」
小学生のころは男子の中で女子ひとり、いつも日が暮れるまで仲間とボールを追いかけ、 学校の行き帰りでも網に入れたボールを手で吊るして蹴りながら歩いていたほど。毎日の生活にはいつでもサッカーボールが一緒。 そうした澤さんのサッカーへの想いを、積極的に後押ししてくれたのがお母さんでした。
「母は大事な機会があるごとに、『チャンスの波に乗りなさい』と言っていました。 その言葉は今も心の中に深く刻まれています。また母は私に何かを無理強いさせることはありませんでした。 サッカーを始める前から通っていた水泳との両立ができないと言ったら何も反対せず、『そうしなさい』とあっさりしたもの。 勉強のほうでも苦手な学習塾をさぼっているのがバレてしまったときも、問いつめられることもなく、 『あなたがイヤならやめてもいいのよ』というだけでした」
子どもが好きなようにさせるという教育方針。一見無責任にも見えるかもしれませんが、 わが子を信頼し、忍耐力を持って接したことが澤さんの自立心を養っていたのかもしれません。 大人になった澤さんは、子どものころのお母さんのそうした接し方に感謝しているそうです。
どんな状況でも最善を尽くすために「謙虚」が最高の先生
中学生になった澤さんは、そのプレーの質の高さから大人のチーム(読売ベレーザ)でレギュラーに抜擢されます。
「このころ10も20も歳が離れたお姉さんたちと一緒にプレーできたことは私にとって非常に大きな財産になりました。 いつも厳しいことを言われましたけど、すべて自分を思って言ってくれた言葉だと、今ではありがたく思っています」
早くから大人の中で揉まれ、たくさんの人々と出会い、さまざまな経験を経て、多くを学んだ澤さん。その中でも、「謙虚」が自分にとって一番大事な先生だと考えています。
「ワールドカップで優勝して大会MVPと得点王になり、その年度のFIFA(国際サッカー連盟)年間最優秀選手に選ばれましたが、 自分で自分のことをトッププレーヤーだと思ったことはありません。周りからどれだけ高い評価をされても、それで慢心するようにはなりたくないのです。 自分には突出したものはなく、いつも『平均点』の選手だと謙虚に思っていたい。そうすればどんな状況でも最善を尽くすという考えにまったくブレが生じません」
澤さんは「十分にやり尽くしたし、悔いはない」と思えるその瞬間まで、いつも謙虚でいたいと心から考えているようです。
「苦しいときは私の背中を見て!」澤さんが考えるリーダーの役割
試合中の澤さんを見ていると、どんな状況でも弱音を吐かず、いつも先頭に立ってチームメイトを叱咤激励する姿が印象的です。 多くの選手が澤さんのことを信頼してついていける理想のリーダーだと考えていますが、 それは澤さん自身が「この人について行きたいと思えるような人になること」を目標としてきたからでした。
「私は言葉巧みにみんなを引っ張るタイプではありません。自分のプレーをしっかりピッチの上で表現することが、結果的にはみんなを引っ張ることになると信じています。 みんなが苦しいときは、私も苦しいんです。でも自分が弱音を吐いたらチームは崩れてしまいます。2008年の北京オリンピック、3位決定戦のドイツ戦。 キックオフ直前のロッカールームでは後輩の選手たちに『みんな、最後まで悔いなく走ろう。途中で苦しい場面もあるけど、そんなときは私の背中を見て!』と言いました。 走り疲れて苦しくても、自分だけはどんな状況でも勝利を信じて走っている。たとえ苦しくても私の背中を見て勇気を持ってほしかったんです」
“母の教え”を守り家計管理
ところで、サッカー選手の日常生活は、どのようなものなのでしょうか。 澤さんが所属しているINAC神戸では、平日はチームトレーニング、週末に試合、試合の翌日はオフが一般的で、それとは別に約1カ月間のオフがあります。 普段はクラブチームで出場する国内のリーグ戦を戦いつつ、その合間に開催される国際大会(代表チームに招集、海外遠征など)に参加しています。
しかし、このようなプロ選手としての待遇は、女子サッカーでは一般的ではありません。 なでしこリーグのチームのほとんどはアマチュアのステータスなので、生活のために昼間に仕事をし、夕方から夜に集まってチームトレーニングを行っているといいます。 「そういう意味ではとても恵まれた環境の中でトレーニングをしています」と澤さん。それではトレーニング以外のプライベートでは、どんな生活を送っているのでしょう。
「チームにいる間も、一日中トレーニングしているわけではありません。 午前のトレーニングに参加したあとは、自宅で作ったお弁当をクラブハウスで食べ、その後、再度トレーニングの日もあれば、しないときもあります。 夕方には自宅で食事を作ったり、たまには外で友人と食事をしたりします。私は今でも基本的に月3万円で自炊をしているんです。これは昔からずっと変わっていません」
澤さんは幼いころから、「お金の貸し借りは良くない」ということと、「お金は自分で稼いだ分だけを消費する」ということをお母さんから教えられてきたそうです。 プロサッカー選手としてチームと契約した高校生のときに「サッカーをして稼いだお金で生活をする」という自立した生活パターンを身につけました。 今は、毎月始めに銀行で決まった額の現金をおろして、生活費用の財布と接待交際費用の財布に分けて入れ、その金額の範囲内で毎月を過ごすなど、“母の教え”をしっかり守っています。
どんなときも堅実な価値観を持っていたい
スタジアムやテレビで外から見ると華やかなサッカーですが、実際にプロ契約している女子選手は何人もいませんし、 海外スター選手のように多くの報酬を獲得できるわけでもないため、実際の暮らしぶりはとても質素です。 澤さんはこうした選手たちの待遇を良くするためには、優秀な成績を残し、女子サッカーへの関心と人気をもっと高めることが必要だと考えています。
澤さん自身はチームを優勝へと導いた優秀な選手として高く評価され、それが年棒の数字に現れます。 でも澤さんには、「年俸が多いから頑張る」「年俸が少ないからちょっとしか頑張らない」といった考えはまったくありません。 大好きなサッカーを真剣にやっている、そこにお金が付いてきているという感覚だといいます。
「私はプロサッカー選手なので、毎年、年俸の契約交渉をします。でも、金額はあまり気にしません。 今もらっている年俸の倍をあげると言われても、そのチームにお金のために移籍することはありません。 それよりも自分にとって良いトレーニング環境と優秀な監督さんやコーチ、そして、深い絆で一緒に優勝を目指して進むことができるチームメイトとプレーすることを重要視します」
とはいえ、そうした考え方を持ち続けるのは、有名になるほど難しいことも多いように思いますが、いったいどのように気持ちをコントロールしているのでしょう。
「お金に関する価値観は人それぞれですが、私はとても堅実なほうだと思います。ワールドカップで優勝して、オリンピックでメダルを獲得して、世間から私たちはとても注目してもらえました。 でもそんなことは一瞬のことです。だから、どんなときもいつも通りの堅実な姿勢でいたいのです。 私は女子サッカーが今ほど世間に知られてなかったころを経験しているので、せっかく築き上げた女子サッカーの現在の地位を一過性のものにしたくない、元に戻したくないと思っています。 そんな気持ちが、私のお金に対する価値観のベースになっているのかもしれませんね。だってお金に振り回される人生は悲しいものですから」
不遇の時代から世界一へ 夢を叶える強い気持ち
“なでしこJAPAN”の活躍によって、女子 サッカーは今でこそ世間が注目する競技となりましたが、ひと昔前まではマスコミの関心も低く、サッカーで生活できる選手はほとんどいませんでした。 昼間に仕事をしながら夕方からトレーニングし、サッカーを続けていても、生活のためにキャリアの途中でサッカーをやめる選手は多かったのです。 そんな中で、仲間とともに切磋琢磨しながら同じ夢や目標に向かうために、澤さんが大切にしてきたことは何でしょうか。
「まずは夢をみること。そして夢はみるだけではなく叶えなければ夢とは言えないということを、身をもって経験してきました。 2011年にワールドカップで優勝したとき私は32歳。同年代の選手がほとんど代表チームにいませんでした。 引退した選手もいれば、もう第一線でプレーができなくなった選手もいました。 でもワールドカップで優勝すること、そしてオリンピックでメダルを獲得することを、幼いころからずっと心の中に『絶対に叶える夢』として強く信じて持っていたからこそ、 歳が離れた若い選手たちと強い絆で一致団結し世界一になれたと思っています」
澤さんは20年以上におよぶ代表チームとクラブチームでの活動の中で、 「あきらめないこと」「自分を信じること」、そして、自分からあきらめない限り「夢は絶対に自分から逃げていかないこと」を学んだといいます。
前向きでポジティブな考えをするように心がけ、信じて続けることを「力」に変え、自分をいつも、「できるよ!」と激励しながらいろいろなことを成し遂げてきた澤さん。 澤さんはサッカーを通じて、人間的にも大きく成長し、今では多くの女性や後輩たちが憧れる存在になっています。
そんな澤さんに今の夢を尋ねてみました。
「今はただ、毎日、サッカーを楽しくやりたいという願望が強いですね。 もちろん、現在のチームで勝つことを目指して、どんな試合も同じように最善を尽くすことは変わりありませんが、いつかは現役選手生活にも終わりが来ます。 そのときまで、とにかく毎日、楽しくサッカーをしたい。でもその先、どんな人生を歩んでいくのかは、まだはっきりとしたイメージがありません。 子どもは好きだし、温かい家庭を築きたいと思います。しいて言うなら、それが今後の夢かもしれません」
本インタビューは、金融広報中央委員会発行の広報誌「くらし塾 きんゆう塾」Vol.31 2015年冬号から転載しています。