著名人・有識者が語る ~インタビュー~
よく語り合う だから心がわかる
山形弁研究家、タレント ダニエル・カール
30年以上日本で暮らし、翻訳家、タレントとして幅広く活躍するダニエル・カールさん。
多忙な日々を過ごすなか、金融教育フェスティバルでの講演も務めていらっしゃいます。
そんなダニエルさんに、日本とアメリカの文化、コミュニケーションの違いをはじめ子どもたちへの金融教育の大切さについて伺いました。
ダニエル・カール
(Daniel Kahl)
1960年アメリカカリフォルニア州出身。タレント、山形弁研究家、コメンテーター。大学卒業後文部省英語指導主事助手として山形県に赴任。セールスマン、翻訳・通訳会社を設立などを経て、テレビ・ラジオなどで活躍中。
日本の魅力に目覚めた小学生時代
取材に応じてくれたダニエル・カールさんはテレビで見るのと同じように明るい。それに加えてほっと気持ちを和ませてくれる人柄の良さが伝わってくる。
ダニエルさんが生まれ育ったのは、アメリカのカリフォルニア州。小学生のころには日系二世や三世の友達が近所には多かったという。その日系人のクラスメイトの家によく遊びに行き、日本的なものに触れた。その家のおばあちゃんやおじいちゃんからは、日本のお菓子や食事などもごちそうになったそうだ。
そんな子ども時代を過ごしたダニエルさんは自然と日本的なものが好きになっていく。中学生になると日本の時代劇の映画などもよく見るようになる。
「小学生のときは、自分たちと違う文化に触れたことで日本に興味を持ったのですが、中学生になると映画で見たチャンバラがとてもカッコいいと思うようになりました。そして今度は、日本の武道にも興味を持ち、やがて空手のトレーニングも行うようになったのです」とダニエルさんは語る。
小学校、中学校と日本の魅力にどんどん引き込まれていったダニエルさんは、高校生のときに交換留学生として日本に行くことを決める。ホームステイ先は奈良県五條市。日本の古都の一つとして古き良き伝統と文化を持つ町に、高校生のダニエルさんは留学生として生活を始めた。
じっくり話を聞いてくれた日本人
初めての日本での生活。ダニエルさんは、交換留学にあたって事務局の先生から食事に関して教わったことがあった。それは自分の口に合わない日本食でも7回は我慢して試してみることだった。
その教えを受けて間もないころ、ダニエルさんは豆腐という未知の食べ物に戸惑う。ほぼ毎日のように食卓に上る豆腐。味もしないし、噛んでいいのか、ただ飲み込むだけなのかもはっきりしないこの豆腐という食材を初めは好きになれなかった。それでも2回、3回とチャレンジして食べてみた。すると先生の教えのとおり4回から5回を超えるころには嫌いでなくなり、7回目に食べるときには好物に変わっていた。同じことは、刺身などの生の魚介類にも応用できた。
この日本の食事への取り組みによってダニエルさんは、異なる文化の生活様式を「まずは試してみる」という習慣を身に付ける。そしてそこから得られることの多さと素晴らしさを学んでいく。
食事と同様に慣れないものは日本語だった。来日当初、ダニエルさんはまだ日本語が上手に話せなかった。カタコトの日本語を必死で話すダニエルさん。しかし、まわりの日本人の友達は、ダニエルさんが何を話そうとしているのかを懸命に聞こうとし、コミュニケーションしようとしてくれた。言葉は不完全でもじっくり聞き、お互いを分かり合おうとする。そんな日本人の心が嬉しかった。初めての留学生活を通してダニエルさんは、より一層日本の魅力を探求することに拍車がかかった。
1年間の交換留学が終わるとアメリカの大学に進学するが、再び来日。大阪の大学で4カ月学び、さらに京都の二尊院に2カ月間ホームステイ、そして佐渡島に渡り、島の伝統芸能である文弥(ぶんや)人形づかいに弟子入りするなどダニエルさんの日本探求は止まらない。大学卒業後は、文部省の英語指導主事助手として山形県に赴任する。
日本とアメリカ。お金に対する考え方の違い
3度も来日を重ねるなかでダニエルさんは、日本人とアメリカ人のお金に対する考え方の違いに気付いていった。
特に違和感を覚えたのが、日本に根付くおこづかいの習慣だった。ダニエルさんは、最初の留学で日本人の子どもがお母さんやお父さんに手を出してお金をもらう場面に出会い、それが日本では、ごく普通であることを知り驚く。子どもが親にお金をねだるだけではなく、親が子どもに対してお金を与えるおこづかい。これはダニエルさんには最初は理解しがたい習慣だった。
「私の場合、親からお金をもらうのは、日本で言うおこづかいではなく、報酬だったのです。たとえば父親の靴を磨いたり、母親の家事を手伝う。その報酬として私はお金をもらっていました。それもある程度の年齢になってからではありません。6歳のころにはもう普通に家事を手伝い、給料に近い感覚でお金を稼いでいたのです。もちろん私の家庭だけではありません。私の知っている限り、アメリカではどこの家もおこづかいではなく、家の手伝いをした報酬として子どもはお金を手にしていたのです」
そう語るダニエルさんにとって、日本の子どもが働かないで親からおこづかいという形でお金をもらう習慣は理解しにくいものだった。
また、ダニエルさんの父親は自分で汗を流しお金を稼ぐことの大事さを、まだ幼いダニエルさんに機会があるごとに話したそうだ。家庭がお金の教育の場そのものだった。そこにはダニエルさんが大人になったときに堅実に暮らしていってほしいという父親の教育、そして願いが込められていた。大切なことは、家族のふだんの生活の中で話し、教える。それは平均的なアメリカ家庭の金融教育のスタイルだった。
しかしダニエルさんは、日本での生活を続けるなかでおこづかいの習慣に込められた親のやさしさや子どもに金銭感覚を身につけさせるという教育的意義にも気付いていく。また日本人はお金に対してアメリカ人とは異なる、よりデリケートな感覚を持っていることも分かるようになった。例えば、食事などの家族団らんの席でお金の話は控えるなど、「場をわきまえる」という日本人の態度に対しても、アメリカ人との違いを感じることができたという。
その上でダニエルさんはあえて問題を投げかける。日本の家庭で行われる金融教育は、子どもが成人し、社会的に自立していくという点ではどうだろうか。
ダニエルさんが日本の成人式などでの講演で、アメリカ人と日本人の自立に関する考え方の違いを何度も話すのは、そんな疑問が大きいからかもしれない。
金融教育で大切なのは、互いに話し合うこと
日本で暮らし始めて30年以上たったダニエルさん。もう人生の半分以上を日本で過ごしていることになる。山形県赴任時代に英語教師をしていた奥さまと出会い、家庭を持ち、子どもも大学生になった。
ダニエルさんは健康づくりのためによく親子でウォーキングに出かける。ときには半日以上という長時間を歩くこともある。いい汗を流しながら交わす子どもとの語らいも楽しみの一つであり、それがそのまま教育の場になることもある。
そんなときによく話題になるのが社会で生活していくために大切な経済やお金の話題だ。このウォーキングでの親子の会話によって息子さんはまだよく知らない政治や経済のことを積極的に訊ねるようになり、ダニエルさん自身もそれに答えるべく勉強するようになった。
かつて子どもだったダニエルさんもお父さんから銀行預金や住宅ローンの組み方などお金に対する実用的な話を聞き、大人として自立していく上で大変に役立ったという。
「8歳のときにそれまで家の手伝いの報酬などで貯めていたお金について父親からアドバイスを受けたのを覚えています。それは銀行に預けることでした。8歳の私に父親は、銀行にお金を預けることによって利子が付くことを教えてくれたのです。
そんな父から受けた金融教育の話の中には、自分がお金に関して苦労した体験なども盛り込まれていました。単に知識を教えるだけではなく、失敗や苦労を回避して人生を着実に生きていくための知恵も教えようとしたのだと思います」
ダニエルさんは、そういった実体験に基づく社会やお金の話を次世代に伝えていくことが大切だと話す。
世代から世代をつなぐ会話でダニエルさんが思い出すのは、山形県にいたころに出会った大家族だ。そこでは祖父母の代から孫まで一つの屋根の下で暮らし、家事や仕事も皆で分担していた。農業の繁忙期で忙しい親たちに代わって子どもたちの良き話し相手になったのは、おじいちゃんやおばあちゃんだった。小さい子どもたちが、おじいちゃんやおばあちゃんの話をじっと聞き入っているほのぼのとした風景がそこにあった。
「もちろん現代の日本では核家族が多く、祖父母の世代と日常で接することは少ないかも知れません。けれどこれから大人たちが、世代を超えてお金や経済の話ができるような機会を作ることは、子どもたちにとって素晴らしい財産になることでしょう。
大事なのは、金融や経済などの知識をしっかり持たせて子どもたちを社会に送り出すことだと思います。まずは家庭での金融教育の機会を積極的に設けてみてはどうでしょうか」
世代から世代へ金融について話し合う習慣づくり。それが大切だとダニエルさんは語る。
本インタビューは、金融広報中央委員会発行の広報誌「くらし塾 きんゆう塾」Vol.14 2010年秋号から転載しています。