著名人・有識者が語る ~インタビュー~
“生の音”のすごみ、醍醐味を届けることで多くの人と音楽という時間を共有したい
ヴァイオリニスト 宮本笑里
天賦の才能で多くのファンを惹きつけるヴァイオリニスト・宮本笑里さん。
コロナ禍で改めて音楽の大切さに気づいた今、1人でも多くの人に音楽の魅力を伝えるべくクラシックはもちろん、ポップスやロックなどさまざまなジャンルに挑戦しています。
活動を続ける原動力やご家族のことなど、お話をうかがいました。
宮本 笑里
(みやもと・えみり)
東京都出身。14歳のとき、ドイツ・デュッセルドルフの学生音楽コンクールで第1位獲得。2007年『smile』でアルバムデビュー。2008年TBS系テレビ『THE世界遺産』メインテーマ曲に抜擢。アニメ『のだめカンタービレ巴里編』エンディングテーマにも起用され、コンサート活動を本格化させる。音楽家として活動する一方、CMやテレビ番組にも数多く出演。2020年発表のアルバム『Life』は全曲オリジナル曲を収録し話題を集める。
厳しいレッスンに耐え開花させたヴァイオリンの才能
世界的なオーボエ奏者、宮本文昭氏を父に持つ宮本笑里さん。幼いころから音楽の英才教育を受けていたと思われがちですが、意外にも、お父さまは宮本さんが音楽家になることには反対だったといいます。
「幼少期はドイツで過ごし、父が毎日練習し、演奏する姿を見聞きして育ちましたから、音楽的な環境には恵まれていたと思います。でも、父からは一度も『音楽をやりなさい』と言われたことはありません。父自身、音楽家になるまでに大変な思いをしていて、留学時代はパンも食べられない毎日だったようです。だから、娘には同じような経験をさせたくなかったのでしょうね」。
しかし、小学生になり、日本に帰国した宮本さんは、たまたま見学に行った音楽教室で楽器に触れ、「私も演奏してみたい」という思いが募ったといいます。
「ヴァイオリンの先生が一番やさしそうだったことが、実はヴァイオリンを選んだ理由なんです。その先生でなければ、続かなかっただろうと思います。出会いに感謝ですね。ヴァイオリンをやることを、母はすぐに賛成してくれましたが、父は留守がちだったため、事後承諾になってしまいました。ある日、父が帰ってきたら私がヴァイオリンを弾いていたので、びっくりしてしまって、開口一番言われたのは、『やめなさい』でした。でも、ヴァイオリンを弾くのは自分自身を表現できるとても楽しいワクワクする時間でした。それを取り上げられるのは困るので、『どうしても、やりたい』と突っぱねました。以降、父は、やめなさいと言わない代わり、アドバイスなども一切なく、放っておかれた感じでした」。
とはいえ、毎日必死でヴァイオリンに向き合うというよりは、週1回のレッスン日と、その前日にだけ練習するという、意外なほどのんびりとしたスタンスで続けていた宮本さん。中学生になったとき、そんな娘に業を煮やした文昭氏は、「今のままでは中途半端。プロになるために気持ちを切り替えて真剣に取り組むか、やめるか、どちらか選びなさい」と決断を迫ったそうです。
「父に言われてハッとなりました。確かにこのままじゃいけない。そう思った瞬間から、やっとエンジンが掛かり、父にも改めて『ヴァイオリンをやらせてください』とお願いしました。それからはもう、猛レッスンの日々です。父との関係性も、親子ではなく、師匠と弟子になり、厳しく教えられました」。
文昭氏はヴァイオリニストではありませんが、プロの音楽家として、演奏の根幹ともいえる「どう歌うか(奏でるか)」という部分を教えてくれたといいます。楽器を奏でるとき、技術的なことはもちろん大事ですが、それ以上に大切なのは、その曲が作られた背景や作曲家自身についてしっかり理解し、紡がれるストーリーを咀嚼して演奏すること。そこから、演奏者それぞれのオリジナルな表現が生まれ、人の心に伝わるような「歌い方」ができるようになるといいます。文昭氏は、それを一から叩きこんでくれたのです。
「ただ、父のレッスンはとにかく厳しくて、辛くて毎日泣いていました。心が折れそうになることも何度もありました。それでも、厳しいレッスンのあとには『成長できたかもしれない』と手ごたえを感じることもあったので、これはもう、父についていくしかない、今はそういう時期なんだと自分に言い聞かせて、練習を続けました」。
試練を乗り越え、14歳で参加したドイツ・デュッセルドルフの学生音楽コンクールで、宮本さんは見事1位を獲得。晴れてヴァイオリニストとしての一歩を刻むことができました。
その後、2007年にCDデビューを果たしてからは、TBS系テレビ『THE世界遺産』のメインテーマやNHK大河ドラマ『天地人』の紀行テーマの演奏家として抜擢され、紅白歌合戦にも出演。着実に活躍の場を広げ、ヴァイオリニストとしてのキャリアを重ねていきました。
宮本家の教えは「無駄づかいはしないが、大事なことには惜しまず使う」
ヴァイオリニストにとって、最も大事なのは楽器との出会いです。現在宮本さんが弾いているヴァイオリンは約300年前に作られた名器「ドメニコ・モンタニャーナ1720~30」。これは、NPO法人イエロー・エンジェルより貸与を受けているもので、家や高級な車が買えるくらい大変高価で貴重な楽器です。
「偶然にも、ありがたいご縁やつながりがあって、貴重な楽器を借りる機会を得ることができました。デビュー当時、私は父に買ってもらった比較的新しい楽器で演奏していたのですが、コンサートホールが大きくなっていくにつれ、だんだん自分の奏でたい音楽や響きが、この楽器では出せないという思いが募っていきました。ほかの音楽家の方にも相談して、100台以上は試し弾きをしたでしょうか。その結果、オールドの楽器を弾く、という結論にいきついたんです。ヴァイオリンは古ければ古いほど、より味わいのある音が出ます。歴史が物語る音の厚みや深さが全然違うんです。今の楽器を弾いたときは、ああこれだなと、ぴったりくる感触がありました。イエロー・エンジェルの創始者・宗次德二さんからは、『いい音楽を皆さんに届けてください』という温かいお言葉をいただけて、本当にありがたかったです」。
ただし、300年もの時を経た、古いヴァイオリンですから、当然、メンテナンスには相当気を遣います。梅雨時など湿度が高い時期は楽器が歪みがちになったり、音がなかなか鳴らなかったりすることもあり、月に1~2回は修理に出さなくてはなりません。メンテナンス代はもちろん宮本さんが持つそうです。
「メンテナンスには躊躇せず、お金を注ぎこみます。もともと、必要なこと、大事なことにはきちんとお金は使うべきだと思っていますので。その代わり、無駄づかいはしません。これは宮本家の教えでしたね。だから、おこづかいは、高校生のときでも月1,000円の範囲内でやりくりしなさいと。もちろん、学校に行く交通費や教科書代、制服代などは出してもらっていましたが、それ以外で、自分が欲しいものはおこづかいの中から買う、という方針です。1,000円って、今考えると、結構厳しいですよね(笑)。でも、そのおかげで、やりくりする感覚が身に付いたと思っています。
家庭の食事もごく普通で、外食はあまりさせてもらえませんでした。小さいころからぜいたくしすぎるとよくない、というのが父の考え方だったんです。大人になって、自由に外食ができるようになり、いろいろなおいしいものに出会ったときは、その度に感動していました(笑)」。
家族とともに、これからも自分らしい音を奏でていきたい
ヴァイオリンを愛し、演奏家として活躍を続ける宮本さんですが、過去に一度だけ、演奏活動をお休みした時期がありました。現在6歳になるお嬢さんを出産し、育児に専念した時期です。
「妊娠期間中は動いたら危ないといわれ、ずっと安静にしていなくてはならなかったので、とてもヴァイオリンどころではありませんでした。出産後は、もちろん、子どもファーストの生活になりましたから、練習する時間はありません。2年ぐらいそんな状態が続いたので、正直、またヴァイオリニストに戻れるのだろうか、という不安がよぎったこともありました。『ヴァイオリンはやめたくない』という思いがある一方、練習していない状態ではとてもお客さまに聴いていただくことはできない。やりたいけれどできないというせめぎ合いが、自分の中で、ずっと続いていましたね」。
不安な思いの中、それでも演奏に必要な筋力を落とさないようにと、指の運動など欠かさず続けたという宮本さん。やがてお子さんが1歳を過ぎ、手が離れるようになると、自由な時間も少しずつ増えていきました。そんなころ、ある方から、番組の生放送に出演しないか、と声を掛けてもらったのがきっかけとなり、徐々に音楽活動を再開することができました。
「娘も今では、『練習したいんだけど、いいかな?』と聞くと、『どうぞ、どうぞ。頑張ってね』なんて言ってくれます。理解があって、ありがたいですね(笑)。ただ、ヴァイオリンにはあまり興味がないみたいです。以前、子ども用のおもちゃのヴァイオリンを買ってあげたんですけど、見事に真っ二つに割ってしまって(笑)。もしかしたら、私のように、あとから『やりたい』と言うかもしれませんが、今は様子を見ているところです。もちろん、音楽以外の、全然違うことに興味を持つなら、それはそれで自由にやらせてあげたいなと思います」。
クラシック音楽やヴァイオリンは、まだまだ敷居が高いイメージがあるといわれますが、本来は、肩ひじ張らずに、ラフな服装で気軽にコンサートに出かけてもなんの問題もありません。もっと身近にクラシックを楽しんでもらえるきっかけになればと、宮本さんはデビュー時からずっと、ポップスやロックにも挑戦してきました。
「いろいろなジャンルの音楽を演奏することで“宮本笑里”という音楽家ができあがっていると思うし、私がポップスを演奏することで『ヴァイオリンってこんなこともできる楽器なんだ』と、多くの人に知ってもらえたらうれしいです。
オリジナル楽曲も大切だと思っていて、その第1弾として初めて全曲オリジナルの『Life』というアルバムをリリースしました。同時に、クラシックのアルバムも継続して出したいですし、そのへんはバランスよく、やりたいですね」。
昨年は、春先からの新型コロナウイルスの影響で、思うような活動ができなかったそうです。
「でも、自粛期間は、自分自身のことや音楽を見つめ直すいい機会になったと思います。音楽の必要性、存在の大きさを改めて痛感しましたし、コンサートホールなどで聴く“生の音”のすごみ、醍醐味は、その空間でしか絶対に分からないことですから。そういう生の音楽に日常から触れる機会があることのありがたみを、改めて感じ、音楽の魅力や価値を多くの人に届けたいと思いました。
人生100年時代といわれていますから、私もまだまだこれから。年齢に関係なく、皆さんと一緒に、音楽という時間を共有できるよう、精進を重ねていきたいです」。
本インタビューは、金融広報中央委員会発行の広報誌「くらし塾 きんゆう塾」vol.55 2021年冬号から転載しています。