著名人・有識者が語る ~インタビュー~
70歳で自分史を書くのは早すぎる いかに自分のコンテンツを増やすかが大切
デジタルクリエーター・ITエバンジェリスト 若宮正子
70歳を過ぎて、表計算ソフト「エクセル」を使って図案を描く
「エクセルアート」を生み出し、81歳でスマートフォン向けのゲームアプリを開発、「世界最高齢のプログラマー」として世界から注目を集める若宮正子さん。
84歳の現在もなお、旺盛な好奇心でまい進する若宮さんが語る人生100年時代の創造的な生き方とは。
若宮 正子
(わかみや・まさこ)
1935年東京生まれ。東京教育大学附属高等学校(現・筑波大学附属高等学校)卒業後、三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)に就職。定年を目前に独学でパソコンを習得。1999年、シニア世代のコミュニティサイト「メロウ倶楽部」の創設に参加。NPO法人ブロードバンドスクール協会の理事も務める。70歳を過ぎて表計算ソフト「エクセル」の機能を使った「エクセルアート」を生み出し、81歳でスマートフォン向けゲームアプリ「hinadan」を開発。著書に『60歳を過ぎると、人生はどんどんおもしろくなります。』、『独学のススメ』などがある。
戦争を生き抜いた少女時代 やがて銀行で女性管理職に
81歳でスマートフォン向けのアプリを開発し、「世界最高齢プログラマー」として一躍有名になった若宮正子さん。はたして、これまでどんな人生を歩んできたのか、誰もが気になるところです。
「小学校に入ったときは太平洋戦争のまっただなかで、とにかくこの状況を生き抜くことだけを毎日考えていました。ですから、将来何になりたいとか、これからどんな生き方がしたいなどと考える余裕はありませんでした。でも、決して悪いことばかりではなくて、何も物がないから自分たちで工夫してなんとかしようとするわけです。卵が食べたければ鶏を育てたり、野菜が食べたければカボチャを育てたり。戦争中の不自由な暮らしが、図らずも創造性を鍛える結果になったのかもしれませんね」。
やがて高校を卒業した若宮さんは、大手銀行に就職します。積極的に銀行員になりたかったというより、「安定していてお給料もよかったから」というのが理由だったそうです。「当時は就職難でしたから、自分の適性や好き嫌いで仕事を選ぶというより、雇っていただけるだけでありがたいという気持ちでしたね。後の就職氷河期世代の人たちの気持ちがよく分かります」といいます。
1950年代前半、銀行業務といえば、ほとんどが手作業の時代。「お札は指で数えて、計算はそろばん。お客さまの通帳に名前を記載する際はペン先をインク壺のインクにつけて書きます。私は手先が器用ではなかったので、お札を数えるのも遅くて、よく怒られていました。決して優秀な銀行員ではなかったと思います」。
そんななかでも、業務改善の提案や新たな業務開発のアイデアなどを書いては、行内に設けられた投書箱にせっせと投書していたといいます。「例えば、今でいうお客さまサポートセンターのような部署を作ったらどうかとか、日々の業務のなかで気づいたことをあれこれ書いては投書していたんです」。
それが認められたのか、40代になると企画開発部門へ異動となり、当時としては珍しい女性管理職へ。お札を数えるのが苦手だった若宮さんは、新たなやりがいを見いだすことになります。「忙しかったですが、充実した日々でしたね。当時はあまり一般的ではなかった長期休暇を積極的にとって、1人で海外旅行に行って見聞を広めたりしていました」。
定年目前でパソコンと出会い世界が広がる
やがて、定年退職を目前にした58歳のとき、若宮さんはその後の活躍の基盤となる転機を迎えます。パソコンとの出会いです。1993年当時、パソコンはまだ高価で、インターネットも普及していないため電話回線による通信が主流でしたが、「パソコンを使っていろんな人たちとやりとりができる『パソコン通信』というものをやってみたかった」と若宮さん。「母親もいずれ介護が必要になるかもしれない。そうなると気軽に外出もできなくなる。家にいながら、外の世界とつながるためにはパソコンが必要だと。パソコン通信には、旅行や料理といった、さまざまなカテゴリーがあって、双方向でやりとりができるので、そこに参加してみたかったんです」。
銀行の業務でパソコンを使うことはなく、触ったことすらなかったそうですが、パソコン教室に通うでもなく、独学で習得。「独学とはいっても、いろんな人の知恵や知識を借りてマスターしていった感じでしたね。当時、個人でパソコンを持っている人はかなり変わり者というか、マニアックな人が多かったように思います。パソコン通信を利用して分からないことを質問するとすぐに誰かが答えてくれるんです。私は『マーチャン』というハンドルネームを使っていたのですが、あるとき、機械のトラブルについて質問をしたら、『マーチャン、ぼくのいう通りにやってごらん』と返信があって、その通りにやってみたら無事に直ったことがありました。相手はたしか中学生の男の子だったと思いますが(笑)、『お兄ちゃん、ありがとう』と返信をしたことを覚えています。血縁や地縁、職縁を飛び越えて、年齢や性別も関係なくやりとりができるパソコンの世界はなんて自由なんだろうと思いました」。
母親の介護を終えたころ、近所の主婦たちから、「あなたパソコンやっているんですって? 私にも教えて」と頼まれるようになり、自宅でパソコン教室を開くことになった若宮さん。「教室というよりシニア向けのパソコンサロンといった感じでしたが、そこでパソコンの機能を端的に理解してもらうために表計算ソフト『エクセル』の使い方を教えていました。ところがシニアにとってエクセルは、難しそうなイメージだけでなく、そもそも実生活にほとんど関係がないため、興味が持てないのです。家計簿を付けるといっても、13けたの表計算ソフトは必要ないんですね(笑)。
そこで、シニアでも楽しみながらパソコンの機能を理解できるよう、セル(数字や文字を記入するマス目)に色を付けていって図案を描くことを思いつき、『エクセルアート』と名付けました。絵心がなかったり、私のように手先が器用じゃなかったりしても、誰でもデザインができ、思い思いに描いた図案を紙や布にプリントして団扇や洋服を作ることもできるのです」。
本来、表計算やグラフを作成するためのソフトの新たな使い方はたちまち話題となり、エクセルを開発した米マイクロソフト社からも称賛の声が上がりました。「先日は、エストニア共和国に出かけておばあちゃんと孫にエクセルアートの講習をしてきました。国によって色使いが異なるのが面白い。もっといろんな国でエクセルアートの波を広げていきたいですね」。
81歳の最高齢プログラマーが世界中の人々を驚かせる
若宮さんの創造性は、エクセルアートを機に一気に開花。81歳になった2017年、今度はスマートフォン向けのアプリ「hinadan(ヒナダン)」を開発して世界中をアッといわせます。スマートフォンの画面上でお雛さまを正しい位置に並べるというシンプルなゲームアプリですが、「世界最高齢のアプリ開発者」のニュースは瞬く間に世界各国に知れ渡りました。若宮さんが開発に着手した理由は、実に明確です。「近年、高齢者にもスマートフォンが普及し始めましたが、使いこなしている人が少ないのは、高齢者向けのアプリが少ないことも理由の一つではないかと思っていました。ゲームアプリも瞬発力や速度を競う若者向けが主流です。知り合いのプログラマーに高齢者向けのゲームアプリを作ってほしいと頼んだら、『それなら自分で作ってみたら』といわれてしまって、じゃあ自分でやるかと(笑)。とはいえ、プログラミングを一から学んだわけではありません。開発期間6カ月というと『そんなに短期間で!』と驚かれるのですが、このアプリを作るために必要なことだけを学んで完成させたのです」。
この偉業を紹介した日本の新聞記事に興味を持った米CNNから、すぐさま若宮さんの元にメールで質問が届きます。もちろんすべて英文ですが、若宮さんはこれをアプリの「グーグル翻訳」を使って日本語に翻訳し、日本語で書いた返事をさらにそのアプリで英文に翻訳して送り返したといいます。こうして書かれたCNNのニュースサイトの記事が、さらに世界各国の言語に翻訳され、瞬く間に拡散されていきました。「海外旅行に行くのは好きでしたが、とくに英語が得意というわけではない私のような人間にとって、翻訳アプリのような技術は大きな助けになります。ITは、その人に足りないもの、欠けているものを補ってくれるものなんです。高齢者にこそ必要なパートナーだと思います」。
米アップル社のスマートフォン「iPhone」向けアプリとして「hinadan」をリリースした2017年、若宮さんはアップル社が米国サンノゼ市で開催する世界開発者会議「WWDC2017」に招かれ、CEOのティム・クック氏とも面会を果たしました。「ティムさんは『大いに刺激をいただいた』といって私をハグしてくれました」と照れ笑いしますが、このアプリ開発によって若宮さんの活躍の場は国内外のさまざまな領域へと広がりを見せ始めたのです。
さまざまな肩書 人生100年時代の先駆者に
2018年2月の国連総会では、高齢者におけるICT(情報通信技術)の重要性を英語でスピーチし、2019年6月に開催されたG20財務大臣・中央銀行総裁会議の関連シンポジウム「高齢化と金融包摂」でも、高齢者が金融サービスから取り残されないためのIT活用のありかたについてスピーチをするなど、活躍の場は多岐にわたります。若宮さんの肩書は、「世界最高齢プログラマー」、あるいは「デジタルクリエーター」、あるときは「ITエバンジェリスト(伝道師)」などさまざま。いずれも「自分で名乗っているわけではなくて、周りが勝手によんでくれている。次はどんな肩書が付くのか自分でも楽しみ」と笑います。
最近では、ご自身の介護経験を踏まえ、介護分野のIT化にも高い関心を寄せています。
「現在、AIスピーカーのように、ただ話しかけるだけでさまざまな日常の動作を機械がやってくれる技術も普及し始めています。今後AIやロボットがさらに進化すれば、介護の負担も軽減できるはずです。例えば、トイレに行くのも人に手伝ってもらうのであれば、頻繁にお願いすることに気兼ねしてしまいますが、ロボットなら何度でも頼める。人材不足の問題も含めて、介護の分野こそIT化をいち早く進める必要があると思います」。
政府が主宰する「人生100年時代構想会議」にも、学者や経団連会長らと肩を並べ有識者として出席した若宮さんですが、「まさか80歳を過ぎてこんなことになるとは考えもしませんでした」と述懐します。
「でも、人生100年時代では、私の身に起こったような思いもよらない出来事が、誰にでも起こりうるのではないでしょうか。よく、『70歳になったら人生を振り返って自分史を書こう』などといわれますが、70歳で自分史を書くのはまだ早いと思います。むしろ、自分のコンテンツをいかに増やすかに時間と労力を使ったほうがいい。大切なのは自分史よりコンテンツ作りです。それに、ブログやフェイスブックに今日あったことを書いていけば、それが蓄積されて結果的に自分史になるので、あらたまって人生を振り返る必要なんてないのです(笑)」。
現在84歳の若宮さんですが、驚くべきことに「80歳のときよりも知能指数が高くなっているような気がする」のだとか。「おかげさまで注目を集めるようになって、世界各国のさまざまな人たちとお会いしたり、本を書いたりすることで、情報のインプットとアウトプットの機会が増えて脳が活性化されているのかもしれませんね。昔から好奇心だけは人一倍あったので、それが今につながり、よかったのかなと思っています。
長生きはそれ自体がとても慶ばしいことですが、それだけでなく、いかに自分なりに充実し、納得できる生き方をするのかが大切。長く生きたという量だけでなく、いかに質の高い生き方をするのかが問われています。私も、興味を持ったことに対しては、まだまだ臆せず挑戦していくつもりです」。
まさに若宮さん自身が、人生100年時代を体現する先駆者になりつつあるようです。
本インタビューは、金融広報中央委員会発行の広報誌「くらし塾 きんゆう塾」vol.50 2019年秋号から転載しています。