おかねのシンポジウム2004
『地元発信。元気な未来はみんなでつくる』
パネルディスカッション
持続可能な社会をどう築くか
藤田 福井さん、持続可能な幸福追求という言葉を仮に使ってみましたが。自分たちの世代ばかりでなくて、他の社会も含めて、という考え方は、いかがでしょうか。
福井 これはやはり壮大なテーマだと思いますね。持続可能っていうのは、人間の生き方として、最も重要な命題だと思っています。
これ、いろんな取り組み方ありますけれども、まず、純粋経済的にいって、持続可能な経済社会をどう築くか、っていくつもポイントがあると思います。まずおそらくこれから日本だけでなくて、地球上の人間全部がもうすでに直面していると思いますが、エネルギーを使わなければ経済発展がないと。
そしてエネルギーとして今非常に大きく頼っているのは石油、天然ガスという中東地域の化石燃料です。残りの埋蔵量はかなりあるといっても、今のペースで使い続けていったら、今世紀中にひょっとしたらなくなってしまうかもしれないという計算もあるのですね。
経済面からの持続可能な幸せを築こうと思えば、有限のエネルギー源に頼っているというんではだめで、再生可能なエネルギー源に明確に切り替えていかなきゃいけない。
たとえば、光合成、植物性燃料、ですよね。植物の葉緑素で、太陽エネルギーをいつでも材木にして、この材木は燃やしてもまた天に上がって再合成可能です。この光エネルギーの循環の中で人間がうまくエネルギーを使っていくっていうことであれば、化石燃料よりもきわめて持続可能性がある。こういう大きな課題があるということですね。
それからもっと身近な問題だと、国会でも年金の問題で色々議論が行われています。私は本質的な議論が十分行われていないと思っています。
年金の問題の本質的な議論というのは、たとえば日本の社会をとらえてもだんだん高齢化していくということです。人口がだんだん減る中で老齢者のウエイトが増え、若い人が減ります。
この中で年金システムをうまく運営していくということは高齢者が年金を受け取り、若い人が年金を支払うということであれば、受益と支払いのバランスを逆三角形の人口構成の中で実現していくと言うきわめて数学的な問題をきちんと理解して利害の調整を図らなければならない。まだ一度もそういう議論を国会で聞いたことがないんですよ。
だれかが払ったとか払わないとか、制度の本質の問題ではないところの議論ばかりに終始しています。藤田さんに申し上げるのも悪いですけれども、日本のマスコミの問題の捉え方も本質を捉えていないですね。あんまりあんなこと面白がって報道するよりは、本質はこっちだよといって欲しいんですけれども。
長続きするようにわれわれの作っているシステムを見直す。たとえば財政赤字もそうですけれども、将来、国は借金を返せなくなる心配は募っているわけですね。これはやっぱり早めにどうやって是正するか。
みんなの負担の構造や政府からの受け取りをどうやって調整していくか、これもかなり数学的な問題がベースにあるんですよね。そうしたことをきちんとやっていく、ということは非常に大事です。これは純粋に経済的な話です。
だけれども、もっと本質的な問題があると思います。永続的な人間の幸せとか、夢ということをみんなで追求していくっていうことですよね。幸せとか夢というのを永続的に追求するということは、ある価値の実現をみんなで追求していくということです。
価値というのは経済的価値と文化的価値が表裏一体になったものだという議論になってきている訳ですが、その経済的価値というのは、物的な価値の側面に目を注いでいくと、ある限界というか飽和状態というか、これ以上あまり欲望が出ないような限界があるようにも見えてきます。
しかし、お金という面から見ると、冒頭に申したように、限りなく無限に欲望が膨らんだりします。経済的価値は限界があるのかないのか分からないようなものですが、あんまりお金の魔物の方に目を向けないで、物的価値の方を見ていくと、人間はある満足感をだんだん持つようになると思います。
経済学でも欲望逓減の法則っていうのがあって、1個目のアンパンは飛びついても食いたいが、2個目はまあ食べたい、3個目はもう要らん、というようなことがあるんですよね。
そういう人間の欲望逓減の法則を超えて、永続的な幸せを追求するというのはやっぱり文化的側面、人間の中に内在するものを限りなく掘り出していく。それを、世代が代わっても、その運動法則を受け継いでいけば、限りなく人間の夢と幸せは追求できる。
つまり、追求しないと来ないもの、努力しないと実現しないものっていうのは、永続的にやっぱり、本質的にあるんじゃないかという気がいたします。