おかねのシンポジウム2004
『地元発信。元気な未来はみんなでつくる』
パネルディスカッション
地域通貨が助け合いの心を育てる
藤田 先ほど大平さんから、地域の力を発揮するために、地域の住民が活動に参加できるさまざまな仕方が用意されるようになってきたというお話がありました。さまざまな参加の仕方が可能なボランティア運動が必要だと思うんですがいかがでしょう。
堀田 必要ですよね。地域って言ったって都市部の地域と、加美町のようなところと全然違いますものね。
あの加美町の芝居なんかいいですよね。あの消防士さん。どんな地域にも消防士さんがいます。それに、警察、郵便局があります。そのエネルギーをまず地域起こしのために使っていく。現にこれらの人たちが協力して地域のエネルギーを引っ張り出しているところは色々あります。そのやり方が素晴らしい。
大平さんがおっしゃったように、その地域の人たちがその地域を好きじゃないと話にならないですよ。地方の方は地域が好きですが、都市部の人は全然自分の住んでいるところに愛着がない。大きな家を持っている人だけですよ、好きなのは。あとはあまり自分の地域を好きじゃないですよ。これじゃ、地域力なんか出てくるはずがないですよね。
まさに、藤田さんお尋ねのように、いろんなところで地域の力を引っ張りださなきゃいけない。地域好きにしなきゃいけない。一番地域好きにならないのは、働いているサラリーマン。これはもう全然地域のことに関心がありません。地域に居場所なし。中にはもう家庭にも居場所なしなんていう人もいます。
まるっきり帰ってもすることなくて、これが会社を辞めちゃったら、例の「濡れ落ち葉」コースですよね。「濡れ落ち葉」、「産業廃棄物」、「核燃料廃棄物」という、あのコースにはまっていっちゃう。
「核燃料廃棄物」というのは、誰からも必要とされないっていうことですからね。これはもう、「地域の不幸」、「本人の不幸」、「家族の不幸」。これをいかに、地域に居場所を作り、地域を好きになってもらうか。これが地域力復活の決め手です。
それには、ひとつは、大平さんが最初におっしゃった、子どもですね。子どももこのごろ随分地域に居場所がなくなっていますから、子どもと一緒に、たとえば、放課後学校で活動に参加したり、土曜日に学校を開放して遊んだりする。子どもと一緒に地域に戻ってくる場所を広げる。
そしてもう一つが地域通貨です。日銀総裁がおられるところで私はこれを言うのが本当に喜びと言いますかね。「お金は日銀だけではないぞー」というね。こういうお話なんです。本当はそんな偉そうなことはいえない、ちっぽけな、ちっぽけな、ちっぽけなお金なんです。
地域の人たちが集まって勝手にお金を作るんですよ。これ法律に違反しません。そっくりのを出したら違反しますよ。自分たちでいろんな名前つけて、1時間券、2時間券とかね。1時間券渡すから、ちょっとお使い行ってこれして、とかね。ちょっとうちの庭の掃除してね。体つらいから、とかね。で、それやってくれるなら、私あなたのためにパソコン教えてあげる、とかね。
この「お金」を使って色々と自分達のできることを交換するわけですね。これがあると「助けて」って言えるんですよ。そんなこと頼んだら厚かましいっていうことだって、これを使ったら頼める。それはまたあとで、自分も誰かのためにいいことしますからという約束が暗黙に含まれておるから。
「お互い様」を形にしたのがこの地域通貨なんですね。これだいぶ広がってきましたけれども、もっともっと広がって欲しい。そうすれば、サラリーマンも含めていろんな人が参加できますから。
藤田 堀田さんの今のご発言の前段の、子どもを中心とした地域の結びつき。確かにそれだけは残っているかもしれませんね。
たとえば主婦達が、ご近所のお母さんを呼ぶとき、なんとかちゃんのお母さんと言っていますね。あれだけしか名前の呼び方がないのかな、と思うくらいですけれども。子どもは唯一、絆になり得るかもしれませんね。大平さん、何かお感じになりますか。
大平 先ほども申しました通り、なるべく大人の方に子どもに目を向けてもらうことが必要です。そのために、学校というのは非常に重要な場所だと思うんですね。
もちろん、学校の児童の安全を守るのは大前提ですが、やはり地域の方にどんどん学校に入って頂く。たとえば、校庭の空いているときに、近所のお年寄りに来ていただいて、ゲートボールをしてもらうんですね。
子どもたちが「いきいき放課後授業」でいろんな遊びをしているんですが、その中で、子どもたちの方からお年寄りに「ゲートボール教えて」と声をかけて行きますと、ゲームを途中でやめて、親切にゲームを教えてくれるんです。そして、いつの間にか子どもたちも混じってゲートボールをしているんです。
ああいう姿を見ましたら、本当に子どもたちが普段学べないことを、体験を通して色々吸収できると思うんですね。
藤田 それから堀田さんが後半でおっしゃった地域通貨。日本銀行券ではないけれども、自分はこれができる、私はこれがして欲しい、というものを仲介する機能ですね。
全国に相当の数あると思うんですが、なかなか軌道に乗らない地域通貨もあるやに聞いていますがいかがですか。
堀田 基本的に地域通貨が伸びないところは、それを使ってもまだ、助け合いの心が出てこないと言うか、もっと冷え切っているということですね。
あれをはじめる人は、もっと自分の地域を住みやすい、あったかいものにしたいと思ってはじめられるんだけれども「そんな疲れる面倒臭いことはしない」、あるいは「うちの子は塾に通うので町内の人に教えてもらうのなんか嫌」っていうように、これまでのしくみ、福井さんのおっしゃった高度成長時代の考え方を抜け出せない面があるんですよね。それとの戦いだと思います。
藤田 福井さんは地域通貨についてはどんなお考えをお持ちでしょうか。日本銀行券を発行なさっている立場から。
福井 実はですね、去年堀田先生とご一緒のパネルがあって、あのとき地域通貨あるいはエコマネーについて、堀田先生は今日よりもはるかに小さな声でおっしゃったのです。きっと僕が反対すると思って、非常に、今日に比べればうんと小さな声でおっしゃって。
私はいきなり「賛成」と申し上げました。堀田先生はちょっと間をおいてご発言があったように思いました。これは日本銀行券、日本銀行が出す通貨と全く矛盾するものではないのです。両方相俟って、きっと良い社会作りに繋がるって言う風に僕は建設的に考えています。
先ほど申し上げました通りに、日本銀行の出すお金は不特定多数の人が地域を越えて、ある物を見たときに共通の価値尺度を持って値段が決められるというときにはじめて通用するお金なんです。
そうじゃなくて、ある地域で、さっきのお芝居でもそうですけれども、別の何か子どもたちのために施設を作ろうなんて始まったときに、本当に値打ちがあるのか、その地域の人たち、そのことを積極的に考える人たちに初めて価値があるんであって、じゃあそういう子どもたちの施設を作るために2日間大工仕事をしましょう、というサービスに対しての価値はその地域の人たちじゃないと分からないんです。
だから、その作業を円滑に進めるための仲立ちが地域通貨、あるいは、エコマネーという風なものだ、と。うまくいくものとうまくいかないものがあるじゃないか、と大変厳しいご質問があったけれども、それは当たり前ですよね。
徐々に価値観が確立するか、あるいは、はじめから価値観がしっかり確立しているのか、ということによって、地域通貨の強さ、弱さというのは第一義的には規定されるけれども、頑張ってやっていけば、地域通貨が根付いていく。
しかしこれ、全国版になってしまったら、地域通貨はもう、役割が終わって、日本銀行券の仕事になってくるんです。だから、われわれはそれを待っている。どんどん地域通貨が発展して、バリューが共通化していくことをわれわれは待っている。それはもう、国の力になる。
そういうとき、われわれが頼りないと、インフレを起こしたりデフレになったりする。元も子もなくしますから、そういうことはしない。と、こういうことですね。
藤田 堀田さん、これは。
堀田 素晴らしいご発言で。一点だけ追加させて下さい。地域通貨には魔物は潜んでおりません。いくらすかしても。
河合 あれはしかし、魔力がないとね、うっかりすると、魅力もなくなります。そこがむつかしい。
藤田 大平さん、大阪を中心として関西でも色々な地域通貨の試みありますね。
大平 そうですね。地域通貨とはちょっとちがうんですけれども、私、子どもの頃、家庭内通貨というのを発行していました。
たとえば、父の誕生日のときは、肩たたき券ですね。物を買ってプレゼントするのではなくて、自分で「肩たたき券」というのを鉛筆で書いて何枚か渡すんですよ。すると、父が疲れたときなんか「はい、券」とかいうてね。それも通貨だと思うんですね。母には「白髪抜き券」とかいうてですね。
私は遅いときの子どもですから私が物心ついたときにはところどころ白髪があったんですね。母がおしゃれですから自分で気になって抜くんですけれども後ろの方なんてなかなか抜けない。そういうときに抜いてあげるとすごく喜んでくれるんです。
そうやって、物ではなくて、自分でできることをするっていうことは、普段から何に困っているのかなと気がつくことができますし。
藤田 河合さん、家庭の中でもお互いの必要を見極めてというのは、美しいことですね。
河合 素晴らしいことですね。そしてプラス、ユーモアがありますね。お互いの信頼感というか。さっきの魔力はないけれども、なにかその心の厚みっていうか、そういうものがあるでしょ。これが、地域とか家の中でやることのいいことじゃないでしょうか。お互いに心が通じているからできることではないでしょうか。