おかねのシンポジウム2004
『地元発信。元気な未来はみんなでつくる』
パネルディスカッション
助け合いを阻む社会の風潮
藤田 堀田さんはさわやか福祉財団を立ち上げるときには、自ら助けることから始まってお互いに助け合う、という一連の基本構図が大事だというから始められたと伺っています。
堀田 今の日本は助け合いが希薄になっているので、困っている人を助けましょうというのをまずやってみました。ただ、その呼びかけは非常に大事なことが欠けていたということを発見しました。助ける人は出てくるのですが、助けられる人が出てこない地域があることに気がついたのです。人に助けてもらうなんて恥であるということですね。
私の先輩に、奥さんが一生に一度パリに行きたいと思っていたのが、飼っていた犬が要介護度5ぐらいになってしまって、これを抛って行けないじゃないですか。それでずっと面倒をみていたんですが、やっと天国に行ったと思ったら、今度は旦那さんが要介護度3になってしまい、結局行けなかった。
そういうとき、ちょっと犬を1週間か10日「助けて」って言って預かってもらっていれば、一生の夢を達成できたのですが、それが言えない。だから、助け合いというのは、「助けて」っていうのをもっと言う。一方で、「助けよう」、「助けた方が嬉しい」ということを言う。そうすると、人生が広がりますよ。
助けてもらった方はやれないことが色々できるようになる。助けた方は、助けた人がいい人生を送ってくれたっていうことで自分も喜ぶ。とってもあったかい社会になると思うんですよね。
藤田 大平さん、青少年の間でも「助けて」という声が上がって来ないか、あるいは、「助けて」って言い出しにくい、そんな時代だとお感じになりませんか。
大平 子ども同士、友だちづきあいはしているんですが、本心がなかなか言えないですね。今の子どもたちは、親の前での顔、教師の前での顔、友だちの前での顔というのを使い分けているんです。
大変残念なことだと思うんですけれども、幼いときからそういう風に育てられてきていますから、自分を出す術(すべ)を知らないのだと思うんです。だから、本当のありのままの自分を出していいんだよということを訓練してやらないといけないと思うんです。
それと同時にお互い様っていうことも学べると思うんです。公園でふざけあっていて、片一方の子が怪我をすると、怪我をした子どもの親がすぐに裁判ということを言うんです。今回は怪我をしたけれども、もしかしたら怪我をさせていたかもしれない、だからお互い様、というような精神が全くないんです。
親がそうだから、子どももそういう風に育ってしまう。お互い様もそうだし、助け合いということも、周りの環境がそうでなかったら、学ぶ機会がないと思うんです。
藤田 福井さんはいまのような「助けて」と言い出しにくい、とか、言わない風潮について何か思うところがありますか。
福井 ものすごく思います。小さいときから序列をつけられすぎている。Pecking orderというのがあるじゃないですか。動物はえさをやると強い者から順番にえさをついばむというのが自然にできてしまう。
人間は本来そんなものはないのに、教育の過程で知らない間にPecking orderができてしまって、その序列の低い人は「助けて」ということは秩序を乱すことだと思ってしまっているんですね。だから言えない。
そんなに若いときから、ひとつのことで、えさをついばむ順序なぞ決めるということがおかしい。それは教育や社会の基本構造だと思いますが、これから急速に変わると思いますね。ひょっとすると私のように、好きな科目だけやるというのも意外といいのかなあ、などと思います。
藤田 河合さん、日本の江戸時代にも助け合いがあった。その時代には、「助けて」といったり、「ホイ来た、助ける」と言ったりすることがあったんでしょうか。
河合 「助けて」と言える人は勇気のある人だと思いますね。人間というのはプライドがありますからね。これは、昔は良かったとは簡単に言い切れないほど、人間の性質の根本的な問題だと思います。われわれ、これから「助けて」と言える人間になるための教育も必要なのではないでしょうか。