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江戸時代に学ぶ お金と暮らし

第1回  庶民の金融リテラシーをのぞいてみよう

初心者・一般向け

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  • 金融リテラシー
  • お金の計算

お釣りはいくら?

平野屋武兵衛(ひらのやぶへえ)という、白粉(化粧用おしろい)などを扱う商家の当主が、妻子を連れて大坂の北堀江(現在の大阪市西区)の芝居小屋に出かけたときのことが、以下のように日記に記されています(脇田修・中川すがね編『幕末維新大阪町人記録』清文堂出版、1994年、6頁より現代語訳)。

(元治元(1864)年2月5日)
堀江の芝居に行く。昼過ぎから雨。芝居小屋で2間(約3.6m)の座席を確保。座席料、敷物代、茶菓子代、5人分の昼飯代、合わせて金1歩2朱と銭2貫700文が請求され、これに金3歩1朱を支払って銭100文のお釣りを受け取った。

このなにげない記録から、いろいろなことがわかります。武兵衛一家は、金貨と銭貨で料金を請求され、金貨で支払い、銭貨でお釣りをもらっています。

非常に複雑ですね。

例えていうなら、円とドルで請求され、円で支払って、ドルでお釣りをもらっているようなものです。

現代日本に暮らす私たちは、円という単位だけで、すべての価値を表現しています。

支払いも、硬貨と紙幣の違いはあれども、円単位のお金だけで済みます。

その私たちからすると、江戸時代の人々のお金の使い方は実に不思議です。

しかも、金貨と銭貨の交換レートにしたがって計算が行われないと、この日記に書かれてあるようなお金のやりとりは実現しません。

例えば「料金は8,000円と69ドル10セントになります」と店員さんに言われた場合、皆さんはどのぐらいの日本円を払えばいいか、パッと計算できますでしょうか。

武兵衛一家は、これができています。1万6,000円を払えば、ちょうどいい感じでお釣りがくるだろうと計算して渡していたことになります。

驚くのはまだ早いです。江戸時代に使われた金貨は、1両=4歩=16朱という単位であったのに対し、銭貨は1貫=1,000文という単位(図参照)でしたから、どちらかの単位に揃えなければ計算ができません。

江戸時代の貨幣制度(金貨、銀貨、銭貨の交換レート)

上記説明のイメージ図

(出所)
日本銀行金融研究所貨幣博物館資料を基に作成

「金1歩2朱と銭2貫700文ってことは、金3歩1朱ぐらい払えばちょうどええやろ」という計算は、実際にやってみると決して簡単ではないのです。

筆者が電卓を使って確認したところ、上に紹介した日記で実現しているお金のやりとりは、当時の金貨・銭貨の交換レートとほぼ対応していたことがわかりました。

つまり、お金を支払った武兵衛一家も、お金を受け取ってお釣りを支払った芝居小屋の従業員も、当時の交換レートに基づいた計算を行っていたことが確認できるのです。

なぜ江戸時代におけるお金の支払い方がこのように複雑なものになってしまったのかについては話が長くなるのでここでは深入りしません。

今回は、江戸時代の人々がいとも簡単に、このような計算をすることができていた背景について考えていきましょう。

江戸時代の人々の計算能力

皆さんは『塵劫記(じんこうき)』という書物の名前を聞いたことがあるでしょうか。

江戸時代の初期、寛永4(1627)年に初版が刊行された算術のテキストです。

『塵劫記』には、等差級数・等比級数・連立方程式の発想が含まれていることから、江戸時代の人々が高度の数学知識を持っていたことの証として、しばしば引用されます。

岩波文庫から刊行され、現代でも版を重ねている珍しい書物です。

しかし、実は、『塵劫記』は高度な数学だけを教えるものではなかったのです。

ぜひ、書店や図書館で手にとってみていただきたいのですが、前半はそろばんによるかけ算・割り算、金・銀・銭貨の売買・両替、利子の計算、米の売買に関する計算問題などが並んでいます。

つまり『塵劫記』は実用書としての姿が本来の姿なのであって、高度な数学知識を競う部分は、あくまでも「数学遊戯」として紹介されたものなのです(『国史大事典』吉川弘文館)。

もちろん、江戸時代の人々が高度な数学を駆使していたことは私たちを驚かせますし、楽しませてもくれますが、ここで注目したいのは、やはりお金の計算に関することです。『塵劫記』には、例えば次のような問題が掲載されています。

小判六両三歩三朱あるとき、
一両につき六十五匁がへにして、
右の小ばんに銀なにほどぞ 

金銀の交換比率が金1両につき銀56匁(もんめ)であるとすると、金6両3歩3朱は、銀に換算していくらになるか、という問題です。

この計算をそろばんでどのように行い、正解である銀388匁5分が導かれるかについて、図解で説明されています。

金(1両=4歩=16朱)から、銀(1匁=10分)への橋渡しが鮮やかに行われていることが確認できます。

このほか、金利の計算についても「よろづ利足(りそく)の事」という項目が立てられて、多くの問題が掲載されています。

このように日常生活、あるいはビジネスを進めるうえで必要不可欠な計算問題がたくさん並んでいるのが『塵劫記』なのです。

当時の人々は、このような計算練習を趣味として楽しんでいたわけではなく(そういう人もいたかもしれませんが)、日々の生活をしていくうえで、必要なスキルを身につけるために解いていたと考えられます。

江戸時代の人々は私たちより素朴?

皆さんは「庶民の金融リテラシーをのぞいてみよう」という今回のテーマを見たとき、江戸時代の市井(しせい)の人々による、素朴でつつましいお金のやりとりが描かれるものと予想しませんでしたか?

そしてその予想は見事に裏切られたのではないかと思います。

お金の計算という意味では、私たちより江戸時代の人々の方が、鋭い感覚を持っていたのかもしれません。

少なくとも計算が苦手な筆者は、電卓なしに彼らの計算についていくことはできません。

皆さんには、ぜひ、「現代の私たちの方が江戸時代の人々よりも進んでいる」という色眼鏡を外していただきたいと思います。

もちろん、コンピューターやインターネットを使いこなす私たちの方が、江戸時代の人々よりもはるかに大きな経済取引を実現できることはいうまでもありません。

しかし、一部のプロフェッショナルではなく、「庶民とお金」という視点で江戸時代を見つめ直したとき、現代に暮らす私たちも驚くような、そして参考になるような知恵があるのかもしれません。

今、各種メディアで「フィンテック」(注1)という言葉をよく目にしますが、江戸時代の人々、とくに大坂の人々は、金融と技術の融合に非常に長けていました。

(注1)
金融(Finance)と技術(Technology)を組み合わせた造語で、金融サービスと情報技術を結びつけたさまざまな革新的な動きを指す。

詳しくは次回以降に取り上げていきますが、少しだけ紹介すると、例えば世界に先駆けて先物取引市場を組織的に運営したのは、江戸時代の日本人です。大坂の堂島にあった米市場(こめいちば)がそれです。

世界最大の先物取引所、シカゴ・マーカンタイル取引所を運営するCMEグループの名誉会長であり、「先物取引の父」とも呼ばれるレオ・メラメド氏(1932年〜)は、その著作で繰り返し堂島米市場にふれ、「世界初の組織的先物市場」であると強調しています。

歌川広重「堂じま米あきない」

歌川広重「堂じま米あきない」の図

(出所)
国立国会図書館デジタルコレクション「浪花名所図会」

メラメド氏は、杉原千畝(すぎはらちうね)の「命のビザ」(注2)で救われたユダヤ人としても知られ、日本に対して特別な感情を抱いていることも手伝っているのかもしれませんが、世界的に有名なハーバード・ビジネス・スクールでも、堂島米市場が教材として取り上げられるなど、国際的に広く認知されています。

(注2)
外交官杉原千畝は、第二次世界大戦中、リトアニアのカウナスで、ナチス・ドイツによって迫害されていた多くのユダヤ人にビザを発給し、亡命を手助けした。

また、堂島米市場で形成された米価は、飛脚や鳩、そして手旗信号を通じて大坂から各地へとすみやかに伝達されていました。

とくに手旗信号を用いた通信は驚くほど速く、明治期の数字になりますが、大阪から広島まで約40分程度で到達したといわれています(柴田昭彦『旗振り山』ナカニシヤ出版、2006年)。

江戸時代と明治時代で、技術的に大きな変化はなかったと考えられますので、江戸時代もほぼ同等の速度であったといっていいと思います。

重要なことは、一部の大商人だけではなく、こうした高速通信を一般庶民も広く利用していたということです。

大坂の米相場で取引を行うことが、庶民も含めて、当たり前だったからにほかなりません。一刻も早く情報を得たい、米の取引で利益を上げたい(損をしたくない)という人々が、全国各地に存在したのが江戸時代だったのです。

江戸庶民の金融リテラシー

「現代の私たちの方が江戸時代の人々よりも進んでいる」という色眼鏡を外していただきたいという筆者の意図はおわかりいただけましたでしょうか。

私たちは、歴史の授業で、明治維新と、それ以後の工業化という過程を学びますので、どうしても江戸時代は素朴でゆったりとした社会であったと考えてしまいがちです。

しかし、そうした先入観は、ときに重要な点を見落とすことにつながります。

「坂の上の雲」をめざして欧米先進諸国の背中を追いかけた明治日本人ならともかく、現代の私たちは、過去の日本人が成し遂げてきた事柄を振り返る余裕があるはずです。

この連載では、江戸時代の人々、名もなき庶民が持っていたお金に関する鋭い感覚を読み解いていくことで、現代に暮らす私たちに、何かしらのヒントを提供できればと考えています。

  • 江戸時代の大坂は「大坂」、近代以降は「大阪」と表記しています。

本コンテンツは、金融広報中央委員会発行の広報誌「くらし塾 きんゆう塾」Vol.57 2021年夏号(2021年(令和3年)7月発刊)から転載しています。
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