高校生小論文コンクール
第21回「金融と経済を考える」高校生小論文コンクール(2023年)
講評
第21回「金融と経済を考える」高校生小論文コンクールには、1,587編の応募がありました。テーマは金融や経済に関すること。厳正な審査の結果、特選5編、秀作5編、佳作10編の入賞作品が決まりました。
高校生になると、自分のお金の使い方やキャッシュレス化など身近な話題だけでなく、環境問題や経済格差、貧困など社会的課題にも目が向きます。自分の経験に重ねて大きな課題を取り上げる作品も目立ちました。特選5編の概要を紹介します。
金融担当大臣賞「私のチョコレート経済学」の筆者は、時給の高いアルバイトを見つけて母親に相談すると、高校生の1時間を「“たったの”1,300円に換えてしまうのはもったいない」と反対されます。筆者は「何円だったら折り合いがつくのか」と、さまざまな1時間の使い方を考え「私の1時間の価値はお金の単位では測れない」と結論づけます。一方で、アルバイトで得られるものは時給だけではなく、さまざまなスキルや経験もあると気づきます。チョコレートを食べながら、そんなことを考えていると、新聞の社説で読んだ、カカオの生産に携わる人達の低賃金労働や児童労働の問題が脳裏に浮かびました。アルバイト先やお金の使い道を自由に選べる自分が児童労働をなくすためにできることは、「商品がどのように作られているかに想いを馳せ、本当の価値に見合った金額のものを買う」ことだと気づき、「考えを巡らせたこの1時間にも値段のつけられない価値があった」と結びます。審査員からは「お金と時間の価値を考えたところが興味深い」「自分の身近な事象から拾って、思考を広げていき最終的には大きな問題設定や解決策に繋げていく点が非常にわかりやすく引き込まれる内容だった」と評価されました。
文部科学大臣賞「子供向け金融教育の課題について」は、小学生対象の金融教育の在り方を考える作品です。小学校高学年対象の金融教育プログラムに参加した筆者は、いくつか課題点を感じます。①子供は親に金融について話をすることが少ない②親の方も話をしたがらず広がりが無い③アンケートでは「理解した」と回答するが、実は内容が難しかったという話を後でしている④提供される金融教育プログラムは10年以上変わっていない――というものです。その理由を、①算数の理解度にばらつきがある②お金の話をしづらい文化③単発でのプログラムでは子供に理解させる内容が限られる――と分析。金融教育を効果的に行う方法として、①低学年は親も参加し、お金の話をタブーではない雰囲気を作る②子供がおこづかいの使用状況などを議論する時間を設ける③貯蓄と資産運用を理解させるために必要な割合などは、十分に理解できるよう、算数の授業の中で扱う④学校の教師では扱うのが難しいテーマは、企業の協力も活用する⑤生徒の理解度を追跡し、必要に応じてプログラムを見直す、ことなどを具体的に提言します。さらに「日本人の金融リテラシーの低さ」に言及し、「金融教育が子供たちに行き渡れば、子供でも将来の目標や夢に向かって計画的に行動できる」と訴えました。審査員からは「今の金融教育の痛いところを突いている」「背伸びしない無理のない解決策を見出している」との意見が出されました。
日本銀行総裁賞「自分の足元から考える環境と経済の両立」の筆者は、都会から新規就農者として移住した両親のもとに生まれました。筆者の考える地元の問題は、少子高齢化に伴う地域を支える人材不足です。具体的には、農地や森林などの管理の担い手減少や後継者不足、空き家の増加、集落の公民館の維持・修理負担などが挙げられます。筆者が注視する耕作放棄地には、産業廃棄物の土砂の山が作られ、大雨が降ると土砂崩れを起こすといった問題があります。太陽光パネル設置による自然環境の破壊にも言及しつつ、解決に向けて地域住民を主体とした合意形成の必要性を訴えます。住民等がお金を信託し、身近な自然や歴史的な環境を買い取って保全するナショナル・トラストの話題に繋げたうえで、自然保護のあり方や自治会費の使い方について、現状分析や提案がなされます。「多世代にわたって、誰もが地域の当事者としての責任が求められる」と考えた筆者は、自身も町主催でボランティア活動等を行う「高校生会」に入会しました。そして、持続可能な社会形成のために、どのようにお金を使えば本当に有効か、多角的な視点から金融と経済を考察し続けていきたいと結びます。審査員からは環境に良いとされている太陽光パネルが自然破壊を起こしているという矛盾点も指摘するなど「論述の展開や言葉遣いに優れている」、自治会費をどう使うかなど「自分の経験と地域の状況を踏まえた考察が展開されている」と評価されました。
全国公民科・社会科教育研究会会長賞「『本当』の子ども食堂の姿」の筆者は、子ども食堂の利点を、「子どもの孤食解消」「貧困家庭に対する食の支援」「地域コミュニティーの一環になること」「子どもへの食育」の4点と述べます。一方で欠点や難点として、開催頻度の低さと、「子ども食堂=貧困の人が行くところ」というイメージが先行し「来て欲しい親や子どもに来てもらえない」ことを挙げます。筆者はその解決策として、偏見や誤解を招かないようにするために、子ども食堂の役割や情報を周囲の人に正確に伝え、認知度を上げることを提案します。自分にできる方法としてチラシを作って配ることや、小学校や中学校の授業参観で「より良い地域づくりの一環」をテーマとして子ども食堂を体験してもらうことを提案し、子ども食堂の楽しさや面白さが伝われば、イメージがポジティブな方向に変わっていくと訴えます。そうすれば「子ども食堂が人と人の真の『つながり』になって全ての人々の居場所になるような、より良い地域づくりに貢献するだろう」と結びます。審査員からは「子ども食堂に対する鋭利で突き抜けた分析を評価する」「子ども食堂が地域コミュニティーの交流の場であるとか、一人で食事を摂る機会を解消するとか、幅広い観点があったということに気付かされた」「背伸びをしない実現可能そうな提案がよい」などの意見が出されました。
金融広報中央委員会会長賞「国境なきランドセル」の筆者は、小学校卒業時に母親から「ランドセルを寄付するよ」と言われます。「やだ」と拒否した筆者に、母親はランドセルをもらい喜ぶ中東の子どもの動画を見せました。「自分も役に立ちたい」と思った筆者はランドセルを寄付することに決め、ランドセルはアフガニスタンの子どもの手に渡りました。その後、現地で寄付されたランドセルを使う様子を報じるニュースを見て「本当に良かった」と思った筆者は、これを機に、発展途上国へのランドセル寄付や経済支援について調べます。教育を受けられないと十分な収入を得られず、その子どもも教育を受けられないという貧困ループの存在や、女性には教育は必要ないと考える地域で、男女平等にランドセルを配ると「女の子も学校へ通うのが当たり前」という考えが広がることを知ります。「このような経済支援をもっとたくさんの人に知ってもらえるような活動をしていきたい」という筆者は、作品の最後を「1人のランドセル寄付によって1人の子どもの未来と笑顔を創れる。立派な経済支援である」と締めくくります。審査員からは「ランドセルが修学への原動力やジェンダー問題の打破の鍵になるなど目の付け所が良かった」「問題意識が高く、小論文としてよく書けていた」と評価されました。