はじめての金融教育-ワークシート付き入門ガイドと実践事例集-
1.金融教育入門ガイド
(2)中学校(社会)における入門ガイド
家計のシミュレーションゲームと模擬商談
東京都目黒区立目黒中央中学校 三枝利多教諭
<1>金融教育現場レポート
なぜ、社会科で活動型授業が必要なのか その理由とは?
社会科で「金融教育」などの活動型授業がなぜ必要なのか?
東京都中学校社会科教育研究会公民専門委員会の中心メンバーの1人である三枝利多先生は、その理由として次の3点を挙げています。
第1に、学習指導要領にある「公民的資質の基礎を養う」という目標は、講義形式の授業だけでは実現が難しいこと。
第2に、こうした「公民的資質」の基礎を身に付けるには、生徒自らが主体となって、調査・判断・討論することが必要なこと。
そして、第3に社会状況が変わり、誰もが責任を伴う意思決定を求められる場面が急速に広がっており、生徒自身も自分の考えや意見を持ち、公正な判断ができる人間にならねばならぬこと。
こうした状況に応えるには、授業において、生徒自身が自らの問題として考え、判断する場面を設定することが必要になるというのです。
「何を勉強するにしても、概念をきちんと把握することが大事で、言葉だけを暗記していくのでは不十分です。だから、活動型の授業が必要で、生徒自身に考える機会を与えることが大切なのです。これまでもいろいろやってきましたが、活動型授業で生徒は着実に変わっていきます」
これらの活動型授業の一つに、中学3年生向けの「家計のシミュレーションゲームと模擬商談」があります。三枝先生が平成13年から始めた指導実践で、経済への関心を高め、経済活動が限られた条件の中で選択を通して行われるという原則を理解し、経済活動に関するさまざまな見方や考え方を広げることを目標としています。
第1ステップは、楽しみながら考える家計シミュレーションゲーム
家計シミュレーションゲームでは、生徒5~6人で1グループを作り、それぞれが父親役や母親役などになり、架空の家族を構成し、5年間の家計をシミュレーションするものです。
与えられる条件は月収70万円(年収840万円)で、家計の支出項目も住居費、食費、衣料費、光熱・水道費、税金など11項目に分かれており、各項目ごとに消費のレベルによって分けられた贅沢コース、一般コース、節約コースの中から、どこの項目にお金を掛けるかというこだわりに応じて自分たちのコースを選びシミュレーション。こうして実際の家計を体験できるようになっています。
ワークシート1「自分の望む家計を設計しよう(シミュレーションゲームの準備)」(PDF 355KB)
「生徒はここで、いろいろな現実を知ることになります。例えば、貯金はしたいけれど、希望通りの金額を貯金するにはどれか支出を減らさないといけないとか、一戸建てを選ぶとランニングコストが掛かることとか、いろいろです。ですから、家計の難しさがよく分かるようです。ただ、ここで学ぶのは、家計設計のあるべき姿ですから、生徒が節約コースを選んでひたすらすべての支出項目を減らそうとするのは主旨から外れます。家計の結果を2か月単位で家計簿に記入していますが、そこで、『満足度』と『我慢度』を記入させます。『我慢度』ばかりが強いと消費の目的は達成されません。振り返りの授業では、こうした点をいろいろとアドバイスします」
また、家計シミュレーションゲームと呼ぶように、ゲームとしても楽しくやれることがポイント。そこで用意されるのが、ラッキーチャンスカードと呼ばれるもの。
「はい、楽しく学べる工夫もしています。決まった収入しかなければ、後はやりくりするだけなので、これでは楽しみもなくなるから、臨時収入として宝くじの当選カードなどを用意します。当選金があまり高額だと、ちょっと現実味がないので100万円前後の金額に設定します。それと、遺産が入るというカードをラッキーチャンスカードに入れていたこともありますが、これは生徒から肉親の死なのに不謹慎だと言われまして、お悔やみカードに名称を変えました(笑)」
ワークシート2「家計のシミュレーションゲーム:家計簿」(PDF 251KB)
また、カードは収入を増やすラッキーチャンスカードだけではなく、臨時支出になる交通事故や火事なども用意されています。火事は火災保険と関連づけて、保険の存在に気づかせるもので、どちらにしてもゲーム性と現実の生活とのバランスを取る工夫がなされています。
家計にはまったく無縁であった生徒たちは、家計を成立させることがいかに難しいかを身を持って知るわけですが、ここで得た知識をもとに次のステップである「模擬商談」に挑むことになります。
外部講師を招いた模擬商談で生徒たちは大きく変わる!
家計シミュレーションゲームで大きな支出となるのは、住居と車の購入。この結果をもとに、ロールプレイングを取り入れた模擬商談では、実際にこの二つについて企業の営業の方を外部講師として招き、具体的に商談を進めます。
三枝先生の模擬商談授業における大きな特徴は、外部から招く講師の多さです。生徒5~6名で作られる各グループにそれぞれ1名の講師がスタンバイするのです。
「もし、クラス全体で1名だったら、普通の講義形式の授業とほとんど同じになってしまいます。それでは、せっかく活動型授業にした意味が半減してしまいます。来ていただく講師の方も車メーカーやハウスメーカーなどにお願いして、実際の営業の方に来ていただきます。車の商談をするグループと家の購入を商談するグループに分かれますが、予算や条件を変えて商談させますので、かなり現実的ですし、生徒もそれなりに考えなければなりません。例えば、住宅の商談では、最初は現実離れした条件を設定していたグループも、商談を進める中で年収や家族構成にふさわしい条件に気づくことになります。そして、ローンをどうするかという問題に直面します。希望と現実に組めるローンにはギャップがありますから、これにどう対応していくか?家計シミュレーションゲームで家計のやりくりを学んでいますから、何かの支出項目、例えば貯蓄や光熱費などを削減することで対応しようと考えるグループも出てきます」
では、車の場合はどうなのでしょうか? 住宅の場合もそうですが、外部講師の方ときちんとした事前打ち合わせを行い、商談の中で生徒が普段は意識していないことも説明してもらうようにお願いをしています。例えば、エコカーや高齢者を意識した車の存在、税、減価償却の考え方、保険の話などを話題として登場させます。その結果、生徒たちは車の購入に関しては、それまで意識していなかった税・維持費・ローンの金利なども必要で、実際の車の購入には考えていた以上に意外とお金が掛かることに気づくそうです。模擬商談とはいえ、現実の経済活動に触れることで、生徒たちの意識は大きく変わっていきます。このことは、授業を終えた後に書かれたワークシートを見ると、非常によく分かります。一部を紹介しましょう。
「家や車を買うにも税や保険が掛かっていて大変だなと思った」
「いろいろな会社を見た方がいいと思う。吟味すべきだと思う」
「常に条件を検討して、いかに自分が納得できるかも考え、それで両者が納得した上で商談が成立していくことが分かった」
「自動車や家を買うときは必要な常識を理解し、後で後悔しない賢い消費者になりたい」
「企業はより良いものを生産し、たくさんの物を売るように頑張って販売していて、私たち消費者もその中から選択・購入することで経済が回っているのだなと思いました」
このように、生徒は模擬商談を通して経済活動の一部を擬似体験しますが、さらに税に対する意識や、消費者としての自立につながる意識も持ち始め、経済に対する見方や考え方を広げるのです。
また、家計シミュレーションゲームを終了した段階では、「節約することの大事さ」、「我慢することの大事さ」を知ったと回答する生徒が圧倒的に多いそうですが、模擬商談を経験すると「選択」という言葉を使い始めるそうです。経済活動を自らの意思で考えようとする自覚の芽生えが「選択」という言葉を意識して使わせるのでしょう。
資料1「家計のシミュレーションゲームの事後ワークシート(生徒記入例)」(PDF 383KB)
最初からすべては教えない! 教師の我慢が活動型授業のポイント
活動型授業はその進め方によって「楽しかった。よい経験をした」と生徒がそのときだけ感じ、それで終ってしまうこともある、と三枝先生は指摘します。
「ここが教師の難しいところなんです。活動型授業で何を学ばせ、そこで得たものを以降の授業でどう開花させるか、何をつかませるかという教師のきちんとした見通しや計画がないと、この授業をやる意味が半減します。家計シミュレーションゲームと模擬商談は7時間で教えますが、たった7時間でも生徒が変わっていくのがわかりますから、それを一時のものにしたくないのです」
「もう一つは、教師が最初から全部教えてしまうとダメですね。生徒に気付かせたり発見させたりしなくては・・・。ここのところは、教師にとっても我慢のしどころと言うか、工夫のしどころなのです」
生徒からエネルギーをもらっていると語る三枝先生。そして「授業が変わった。生徒が変わった。そして教師が変わった」という信念を持つ三枝先生。三枝先生の授業を受けた生徒たちもまた、未来へのエネルギーをもらっていると思います。
(以上は、金融広報中央委員会の広報誌『くらし塾きんゆう塾』2008年夏号「金融教育の現場レポート」に一部加筆修正したものです。)